重さ: 2.8g
品位: 金568/銀432
35,000円(税込)
重さ: 2.8g
品位: 金568/銀432
江戸時代後期、天保年間に造られた天保一分判金は、裏面右上に刻まれた「保」の一字で一目で見分けられる金貨です。
この記事では、古銭専門の鑑定士が天保一分判金の価値・買取価格から、エラーコインの種類、本物と偽物の見分け方まで詳しく解説します。
遺品整理で見つけた方も、コレクションを整理中の方も、ぜひ参考にしてみてください。
この記事でわかること
目次
古銭は製造時のミスによって通常とは異なる見た目のものが存在します。
これらはエラーコインと呼ばれ、希少性が高くコレクター人気も高いものです。
天保一分判金にはどのようなエラーコインがあるのか確認していきましょう。
逆打ちとは、表と裏が逆さまに刻印されているエラーコインです。
通常は表面を正面に見た状態で裏返すと、裏面も正しく読めるようになっています。
しかし逆打ちでは、字や模様が逆さになっています。

製造工程のミスで生まれたもので、希少性が非常に高く、コレクターからの人気が高い一品です。

一分銀のズレ打ち
ズレ打ちとは、貨幣のデザインが本来の位置からずれて刻印されてしまったエラーコインです。
写真は一分銀のものですが、天保一分判金でも同様のエラーが生じる可能性があります。逆打ちほどではないものの、コレクション性の高い一品です。
天保一分判金は非常に価値の高い古銭です。そのため、残念ながら偽物も数多く存在します。
真偽を見分けるには、いくつかのポイントを総合して判断する必要があります。
まず、表裏に打たれている極印に誤りがないかを確認します。
表面は上部に扇枠の桐紋・中央に横書きで「分一」・下部に桐紋が配置されているか、裏面は「光次」の花押と右上に「保」の年代印があるか確認しましょう。

次に、金の発色を見ます。天保一分判金は品位が特別高いわけではありませんが、それ以前の貨幣に比べて色揚げが丁寧に施されており、表面の金色がより鮮やかなのが特徴です。
さらに、天保一分判金には規定の量目(2.81g)と品位(金56.77%・銀43.23%)があります。測定器でこれらを測ることで真偽をより確実に判断できます。
ただし、実は偽物ではなく、天保一分金とは別の一分金(もしくは二朱金)の可能性がございます。
その他一分金や二分金、二朱金については二分金・一分金・二朱金などの買取価格一覧表にて確認できますが、もしわからない場合などは弊社のライン査定をご利用ください。
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天保一分判金は、江戸時代後期の天保年間(1837〜1858年)に鋳造・流通した金貨幣です。裏面に「保」の字が刻印されているので、他の一分金との見分けが簡単です。
一分金は、金座(※江戸時代の金貨鋳造所)では「一分判」、江戸時代の古銭書では「一分判金」と呼ばれていました。
「一分金」という名称は、一分銀と区別するために幕末に広まったものです。
天保一分判金は、同時期に流通した「天保小判」と同じ品質の金を使って作られていました。大きさや重さは天保小判の4分の1で、小判が1両に対し一分金は1/4両となります。
形状は長方形で、表面は上部に扇枠の桐紋、中央に横書きで「分一」、下部に桐紋が配置されています。裏面には「光次(花押)」の極印が打たれており、裏面右上に「保」の年代印があることから、別名「保字一分判」とも呼ばれています。

天保一分判金が鋳造された時期から、ローラーによる延金が行われるようになり、以前の一分金と比べて格段に平面性・均質性が向上しました。規定品位は金56.77%・銀43.23%、量目は2.8グラムです。
なお、天保一分判金も天保小判も非常に美しいと評される金貨ですが、これには理由があります。江戸幕府は金座へ製造を発注するときに「格別に鮮明に仕立てるように」と注文を出しており、製造への支払いも20%以上高く支払っていたという記録が残っています。
天保一分判金は江戸時代後期、天保年間に鋳造されました。それ以前には文政小判・文政一分金といった貨幣が流通していましたが、文政一分金は品位が劣っていた(金56.0%・銀44.0%)ため、天保一分判金では品位を上げることが名目とされました。
しかし実際には、品位の上昇はわずか0.3%程度(金56.8%・銀43.2%)に留まり、重さは6/7に削減される結果となりました。
江戸時代において通貨の改鋳が繰り返された主な目的は出目でした。
出目により品位・量目が下がると、市中ではインフレ傾向となり不安が広がります。天保の改鋳では文政一分金の品位を上げようとしましたが、その試みはうまくいきませんでした。
なお江戸時代では、1両でおおむね米1石(こく)=150kgを購入できたそうです。
1/4両に相当する一分金であれば37.5kg分の米を購入できるほどの価値がありました。
天保一分判金を他の一分金と見分けるには、貨幣裏面の右上に打たれている年代印を確認します。
天保一分判金の年代印は「保」で、これが最も簡単な見分けポイントです。

一分金はいくつも種類がありますが、表面の上部に扇枠の桐紋・中央に横書きで「分一」・下部に桐紋、裏面に「光次」の花押の極印という基本構造は共通です。異なるのは品位・量目・年代印ですが、一目でわかるのは年代印です。
年代印で種類が判明しても、真贋を確かめるには規定品位(金銀含有量)や規定量目(重量)を測定する必要があります。
天保一分判金に刻まれた各刻印の意味について確認していきましょう。

「分一」とあるのは、右から左に読んで「一分」のことで、一分金であることを表しています。
現在では文字を左から右へ読みますが、日本では古来より右から左へ読むのが一般的でした。左から右に読むようになったのは、西洋の言語が入ってきた江戸〜明治期の頃です。

桐紋は現在でも政府を表す紋章として使用されています。
家紋のうち最高位は皇室を表す菊紋です。次いで高位とされるのが桐紋です。
その後、政権を担う者の紋章として定着し、現在まで政府の紋章として使われ続けています。

「保」の刻印は天保の「保」の字で、「年代印」または「時代印」と呼ばれます。
天保年代につくられたことを示す印です。
元禄一分金では「元」、文政一分金では「文」、安政一分金では「正」といった時代印がそれぞれ打たれています。

「光次」とは、江戸時代の人物「後藤庄三郎光次」を指す署名です。この名前は代々家族に受け継がれ、11代目で途絶えました。

初代の後藤庄三郎光次は京都で彫金師として働いていました。彫金師とは、金や銀などの金属を細かく彫ったり形を作ったりする職人のことです。後藤家は室町幕府からの用命で金工の仕事をしていた由緒ある家系でした。
ある時、この彫金師が徳川家康と出会い、大きな転機を迎えます。家康はその技術を高く評価し、「後藤庄三郎光次」という名前と特別な家紋を使うことを許可しました。さらに家康は東京の中心部に土地を与え、そこに小判の印をつける役所(金座)が設けられました。現在、その場所には日本銀行本店があります。
後藤家はその後、京都・駿府(現在の静岡市)・佐渡島にも役所を設け、金銀の管理から家康の財政・貿易のアドバイスまで担う大きな力を持つようになりました。もともと一代限りで名前を引き継ぐ約束でしたが、徳川家の後ろ盾により結局11代にわたって続けられました。

「光次」の下には花押が刻印されています。
花押とは、自署の代わりに用いられる記号または符号のことです。
以上では、天保一分判金の概要と買取価格、偽物の見分け方、その他の一分金について解説してきました。
古い家や倉庫を整理していると、古銭が見つかることがあります。古銭は希少性や状態によって思いもよらない価値があることも珍しくありません。
本記事がみなさまのお役に立てましたら幸いです。
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