価値の高い1,000円札は? 新しい1,000円の人物は? 歴代1,000円全種類の価値をお教えします!

実家に聖徳太子の古い1,000円札がありました。1,000円札って、どんな種類があるんですか

1,000円札はこれまでに全部で5種類も発行されているんです。
また2024年には、新しい1,000円札の発行も予定されています。

そうだったんですね。ちなみに1,000円札の価値は額面通りでしょうか。

多くは額面通りですが1,000円以上の価値になるものもあるんです!
鑑定士が、1,000円札について解説いたします。

[監修/執筆:増田 英明

1,000円札とその価値

ここでは、今までに発行された1,000円札の基本情報とその価値についてお伝えします。

1,000円札は、これまでに何度も新しくなっています。
今現在使われているものは、5代目となる野口英世1,000円札です。

よく旧1,000円札、旧札なんて言葉を聞くことがあります。
一般的には現在使われている紙幣より前のものが、旧1,000円札と呼ばれています。
ですので夏目漱石以前のものが、旧1,000円札と呼ばれることになります。
新しい1,000円札が発行されると、野口英世の1,000円札も旧1,000円札という分類になります。

1,000円札は現代日本では紙幣としては最低額面ですが、最も身近な紙幣です。
ですが、昔は紙幣として最高額面であったこともあるんです!

それでは一番最初の1,000円札から順番に見ていきましょう。

兌換券甲号千円(日本武尊1,000円)

兌換券甲号1000円日本武尊

  • 発行年:1942(昭和17)年
  • 大きさ:100mm×172mm
  • 発行枚数:810万枚
  • 銘版:内閣印刷局製造
  • 図案:日本武尊と建部神社/彩紋と額面

日本武尊1,000円札は戦時中の1942(昭和17)年に発行され、実際には終戦直後から1年間ほど使用されました。
製造枚数はおおよそ810万枚で、紙幣としては発行枚数が少ない部類に入ります。
また1,000円という額面は、当時の最高額面でした。もちろん、現在使用することはできない紙幣です。

紙幣のデザインは、表面に日本武尊の肖像と建部神社、裏面には彩紋と「千圓」という額面が入っています。印刷の色味や大きさなど、いかにも昔のお札、という感じのデザインになっています。
日本武尊1,000円は希少性、さらに日本神話の英雄「日本武尊(ヤマトタケル)」の肖像も相まって、現在でも人気がある紙幣です。
状態の悪いものでも、市場では10万円前後の値段がつくことがあります。

この日本武尊1,000円札は印刷された後、当時紙幣不足だった台湾や朝鮮にも送られたそうです。
タケル1000円加刷
こちらのものが、台湾で使用された1,000円札の加刷券です。裏面に、台湾銀行という朱印の押がされているのが特徴です。

また日本武尊ですが、このデザインは次の日本銀行A号券で流用される予定でした。
そのために試作された見本券が、今でも存在します。
日本武尊1,000円A見本
ですがA号券では1,000円紙幣は発行されないこととなったため、幻の紙幣となっています。
ちなみにA号券は聖徳太子の肖像を採用した100円札(4次100円)が最高額面です。
この幻の紙幣は、コレクター向けのオークションにて120万円ほどの価格で取引されています。

日本武尊(ヤマトタケル)って、どんな人物?

日本武尊は『古事記』と『日本書紀』に登場する英雄です。
『古事記』では倭建命、『日本書紀』では日本武尊という記述で登場します。
読みは、どちらも「ヤマトタケルノミコト」と読みます。
「ヤマト」は国の名前、「タケル」は勇猛な人という意味です。
名前の最後につく「命」、「尊」(ミコト)とは、飛鳥~奈良時代に、神や高貴な人の名に添えられた敬称のことです。

日本武尊は大和政権(大和朝廷)による日本列島統一のため東奔西走し戦った英雄として知られています。
父である景行天皇の命で熊襲(くまそ)、蝦夷(えみし)という敵を討伐するものの、大和国(現在の奈良県)に帰る途中で倒れ、白鳥となり天に帰ったという悲劇の物語です。
また三種の神器として有名な草薙剣(くさなぎのるつぎ)の伝承も、日本武尊の物語の中に出てきます。

日本武尊が1,000円札の顔に選ばれた理由

なぜ日本武尊が紙幣に選ばれたか、その詳細は不明です。
紙幣に採用する肖像は明治20年にすでに決められており、その中で日本武尊だけが採用されていなかったため、という説があります。
日本貨幣史上最高額であり、しかも戦時中であったため、天皇家の祖先である古事記に登場する「ヤマトタケル」を選んだのかもしれません。
ですが戦後、GHQが軍国主義的な人物や図柄の銀行券の使用を禁じたため、発行停止となりました。
その後、日本武尊の肖像を採用した紙幣は二度と発行されることはありませんでした。

日本銀行券B号千円(聖徳太子1,000円)

日本銀行券B号1000円 聖徳太子

  • 発行年:1950(昭和25)年
  • 大きさ:76mm×164mm
  • 発行枚数:28億万枚
  • 銘版:日本政府印刷庁製造
  • 図案:聖徳太子/法隆寺夢殿

聖徳太子の肖像が描かれた1,000円札は、1950年1月に発行されました。
1986年に発行停止になっていますが、現在も使用できる現役の1,000円札です。
聖徳太子の10,000円は知っていても、聖徳太子の1,000円札があったことを知らない方も多いのではないでしょうか。

紙幣のデザイン表面は、戦前から発行されている100円札(4次100円札)に引き続き、聖徳太子の肖像を採用しています。
裏面は法隆寺にある夢殿と、正倉院に納められている「四騎獅子狩文錦」の織物の図柄の一部分が採用されています。
夢殿は聖徳太子の住居であった斑鳩宮の跡地に建てられた、奈良時代を代表する八角円堂の建造物です。
もしかしたら小学校の社会科の教科書や、修学旅行などで見たことがある方もいらっしゃるかもしれません。

この聖徳太子1,000円札を含めた紙幣は、日本銀行券B号と呼ばれています。
他にも岩倉具視500円札板垣退助100円札高橋是清50円札が発行されています。
そしてこのB号券から、アルファベットと数字の組み合わせによる記番号が採用されました。

聖徳太子の紙幣は、よほど悪い状態でなければ少しだけプレミアがつきます。
アンティーリンクでは美品は1,300円、未使用品ですと2,500円にてお買取をしています。
しかし古いものですので、市中で見かけるもののほとんどは使用感のある状態の悪いものばかりです。

聖徳太子1,000円札はニセ札が多い?

聖徳太子の1,000円札は偽造紙幣(いわゆるニセ札)が多いことでも有名です。
なんと発行から数ヶ月後には、最初のニセ札が出回っていたそうです。
こうしたニセ札は発見されると、警察によって名前がつけられるそうです。
最初の聖徳太子1,000円のニセ札は「チ-1号」と呼ばれ、「チ-38号」まであるそうです。
ちなみにこの「チ」は、額面である漢字の「千」にちなんでいるとか。

特に昭和36〜40年のニセ札「チ-37号」は、精巧なニセ札として新聞にも取り上げられ、世間を騒がせました。
ただ現在では、この「チ-37号」のニセ札は存在していないのではないか、とも言われてるそうです。

他に1,000円札をめぐる有名な事件に「千円札裁判」という、最高裁まで争いになった事件がありました。
こちらは流通目的での偽造ではなく、とある芸術家が作品として制作した模造紙幣のことです。
ですので、いわゆるニセ札とは事情が異なるものです。

聖徳太子の1,000円札は14年の間、最高額面として発行され続けました。
そのためか、こうした話題が多く残っているのかもしれません。

聖徳太子ってどんな人物?

日本の紙幣の中で、もっとも多く採用されているのが聖徳太子です。
ではこの聖徳太子、どんな人物だったのでしょうか。

聖徳太子は政治家として活躍をした人物です。
聖徳太子は574年に生まれ、622年に生涯を閉じたとされています。

なにより聖徳太子という名前が有名ですが、これは称号のようなもので本当の名前ではありません。
聖徳太子は「厩戸王(うまやどのおう)」と呼ばれており、本名は「厩戸豊聡耳皇子(うまやどのとよさとみみのみこ)」「厩戸皇子(うまやどのおう)」「上宮王(かみつみやおう)」など、複数の説があります。
ほかにも同時に複数人の話を聞き分けられるほどの人物という意味の、豊聡耳(とよさとみみ)と呼ばれていたとか。
そして聖徳太子には歴史上、さまざまな功績があったとされています。3つほどご紹介します。

【十七条の憲法の制定】
聖徳太子の偉業としてまず挙げられるのが、十七条の憲法です。
憲法といっても、今の日本国憲法のような法典とは異なり、貴族や官僚に向けた道徳規範を示したものです。
たとえば「人と争わずに和を大切にする」「仏教に帰依すること」「常に礼儀正しくせよ」などです。

【冠位十二階の制定】
聖徳太子は官僚を位を12段階にわけ、決められた色の冠を与え評価する制度を制定しました。
冠位は全部で6つに分かれ、さらに冠位ごとに「大徳」「小徳」のように大・小に区分しました。
そのため全部で12の冠位(6つの区分と、大・小の分類)があることから、冠位十二階制度と呼ばれています。
日本初の人事評価制度で、貴族でなくても功績や才能があれば出世することも可能であったといいます。

【法隆寺の建立と仏教の振興】
聖徳太子は幼少期から仏教を深く信仰し、仏教振興に努めたと言われています。
世界最古の木造建築である法隆寺、大阪府の四天王寺など、さまざまな寺院の建立に関わったとされています。

歴史的な功績を残した聖徳太子ですが、現在では「厩戸王」は存在したものの、その功績については否定的な意見が中心のようです。
数年ほど前には「教科書から聖徳太子の名前が消える」なんて話題がありました。
日本人に馴染みの深い聖徳太子という名前を消すことには、かなり反対が起こったとか。
現在は小学校の教科書では聖徳太子の表記ですが、中学校の教科書では聖徳太子(厩戸王)と併記されているようです。

また聖徳太子の肖像として有名な「聖徳太子二王子像」の肖像も、聖徳太子のものかどうか、現在では疑問視されています。
そのため教科書では「伝聖徳太子」という表記になっているそうです。

聖徳太子が1,000円札の顔に選ばれた理由

聖徳太子を1,000円札の肖像に採用した理由として、数々の功績や、その知名度が挙げられています。
「十七条の憲法」の制定、仏教の保護、古代の政治における重要な功績、国民から敬愛され知名度が高いこと、肖像を描くためのしっかりした材料があること、などなど。
以上のような理由から、聖徳太子が紙幣の顔に選ばれたと言われています。

さきほどお伝えしたように、現在では、聖徳太子の功績や存在には疑問符がついています。
ですが紙幣発行の当時ですと、すでに肖像として採用実績があり、国民にも馴染みありました。
そう思うと聖徳太子を紙幣の顔にしたことは、ごく自然な流れだったのかもしれませんね。

日本銀行券C号千円(伊藤博文1,000円)

日本銀行券C号1000円 伊藤博文

  • 発行年:1963年(昭和38)年
  • 大きさ:76mm×164mm
  • 発行枚数:129億6,000万枚[黒]/124億7,800万枚[青]
  • 銘版:大蔵省印刷局製造
  • 図案:伊藤博文/日本銀行

聖徳太子に変わり、伊藤博文の肖像となった1,000円札は1963年11月から発行されました。
発行停止になったのが1986(昭和61)年ですが、現在も通用力を持つ紙幣です。
一般的に「昔の1,000円札」といわれるものは、この伊藤博文の1,000円札を指すことが多いです。

表面には右側に伊藤博文の肖像があり、その左下に日本銀行総裁の印章が印刷されています。裏面は、日本銀行が描かれているのが特徴です。このデザインは聖徳太子5,000円札でも採用されています。

伊藤博文1,000円札は、日本銀行券C号と呼ばれるシリーズになります。
同時期の紙幣として聖徳太子10,000円聖徳太子5,000円岩倉具視(新)500円があります。
当時、聖徳太子1,000円札でニセ札が多く出回ったことが問題となっていました。そのため伊藤博文1,000円札ではドイツ(当時の西ドイツ)から最新鋭の印刷機を導入し、偽造防止対策が行われました。
さらに新型印刷機の性能のおかげで表面は7色、裏面は4色という当時で最も色鮮やかな紙幣となりました。

また伊藤博文1,000円札では、日本で初めて記番号(アルファベットと数字)の刷色が変更されました。
記番号はA000001Aを始まりとしてZ900000Zまで割り振られます。その次はアルファベットが2桁になり、AA000001AからZZ900000Zまで順番で割り振られていきます。なお「O(オー)」と「I(アイ)」はアラビア数字「0」「1」と間違いやすいため、記番号には使用されていません。
この組み合わせですと、全部で129億6,000万通りの番号を割り振ることができます。つまり、紙幣は129億6,000万枚刷られると記番号が一巡することになります。
一巡した後は記番号の刷り色を変更してA000001Aから再スタートをする、というルールになっています。
最初の記番号の刷色は「黒」でしたが、記番号が一巡したため1976(昭和51)年4月発行分からは、記番号が「青」に変更されました。
そのため記番号の刷色の違いで発行期が分けられ、それぞれが前期(黒)と後期(青または紺)と呼ばれています。

伊藤博文1,000円札は発行枚数がとても多く、ほとんどのものは額面の価値しかありません。
ですがゾロ目や階段などの珍番で状態の良いものには、市場ではプレミアがつきます。
過去に前期のA-A券の未使用品で、40万円ほどの価値がついたことがあります。

伊藤博文ってどんな人物?

伊藤博文は、日本の初代内閣総理大臣となった人物です。
明治維新を成し遂げた後の日本を近代化に導きました。
総理大臣を辞任後は初代韓国総監として韓国統治に力を注ぎ、総監辞職後の1909年にハルビンで狙撃され69歳で亡くなっています。

伊藤博文の功績は華族令や内閣制度の創設など数々ありますが、最も大きい功績は憲法の制定です。
岩倉遣欧使節団としてドイツ(当時はプロイセン)では憲法を研究し、天皇を元首とした憲法の草案を作成しました。
この憲法は1889年に「大日本帝国憲法」として発布されました。

伊藤博文は44歳の時に内閣総理大臣に就任し、その後、3度も総理大臣を務めます。
実は伊藤博文、日本最年少の総理大臣だったんです。
彼が初代総理大臣に就任した際の44歳という記録は、未だに破られていません。

伊藤博文が1,000円札の顔に選ばれた理由

伊藤博文が肖像として選ばれた理由は、その功績になります。
彼は日本の初代の内閣総理大臣であり、大日本帝国憲法の起草に重要な役割を果たしました。
なによりアジアで最初の立憲制度を確立させた、という役割を評価した結果と考えられています。

ですがこの他に、もう一つ理由があったそうです。
発行に先立ち、日銀が東大の心理学教室に依頼をし、何人かの候補について国民に調査を行いました。その時に最も好感度の高かったのが、伊藤博文だったそうです。
ちなみにこの候補の中には岩倉具視(500円札)野口英世(現行の1,000円札)、渋沢栄一(2024年以降の10,000円札)もいました。
そんな理由もあって、最終的には伊藤博文が採用されたそうです。

日本銀行券D号千円(夏目漱石1,000円)

日本銀行券D号1000円 夏目漱石

  • 発行年:1984年(昭和59)年
  • 大きさ:76mm×150mm
  • 発行枚数:129億6,000万枚[黒]/58億3,290万枚[青]/129億6,000万枚[褐]/13億4,190万枚[暗緑色/大蔵省]/49億8,000万枚[財務省]/2億4,520万枚[国立]
  • 銘版:大蔵省印刷局製造/財務省印刷局製造/国立印刷局製造
  • 図案:夏目漱石/二匹の鶴

夏目漱石1,000円札は、20年もの間発行されてきた伊藤博文1,000円札に変わって1984(昭和59)年に発行されました。
2007年に発行停止となっていますが、現在も使用できる1,000円札です。
2023年現在では夏目漱石、それ以前の1,000円札が旧1,000円札と呼ばれます。

夏目漱石1,000円札は、日本銀行券D号とも呼ばれています。
伊藤博文1,000円札などのC券が発行から20年ほど経過し、ニセ札も増えてきていました。また経済成長に伴う物価の上昇で、流通紙幣の増量も求められていました。
偽造対策の必要性、紙幣需要からD券シリーズが発行されることとなりました。
夏目漱石の他には福沢諭吉(10,000円札)新渡戸稲造(5,000円札)が採用されています。
このD券から、肖像には武人や政治家ではなく、文化人が採用されるようになりました。

紙幣のデザインは、表面が紙幣の右側に夏目漱石の肖像があり、その左下に日本銀行総裁の印章が印刷されています。裏面は鶴が向かい合っているデザインになっています。紙幣の刷色は青を基調としており、伊藤博文1,000円札に比べると落ち着いた印象のある紙幣になっています。
またサイズも、伊藤博文1,000円札より左右幅が10mm小さくなっています。国際的に紙幣が小型化の傾向にあったこと、また省資源化によるコスト削減の狙いもあったようです。

なにより夏目漱石1,000円札は、記番号の色が何度となく変わっています。
まず記番号の一巡、また偽造対策でのマイナーチェンジで刷色は黒色、青色、褐色と3度も変更されました。
そして行政改革の影響で製造元が変わったため、さらに暗緑色へと変わっています。

夏目漱石1,000円札の価値は、額面通りのものがほとんどです。
夏目漱石1,000円札は発行停止から15年程度であることに加え、相当な量が発行されました。
なんと、今でもお釣りの中に紛れていることがあるとか。
これではエラーや珍番、初期番号などでもなければ、その価値は額面通りなのも納得がいきます。

ちなみに夏目漱石1,000円初番号のA000001Aは、日本銀行の貨幣博物館に納められています。
ついで2番札のA000002Aは、新宿区にある区立漱石山房記念館に寄贈され、納められているとのことです。

夏目漱石ってどんな人物?

夏目漱石は、1867(慶応3年)年に生まれ、1916(大正5)年に49歳で亡くなりました。
明治から大正時代にかけて活躍した小説家・英文学者で、本名は夏目金之助です。
名前の漱石はペンネームで「漱石枕流(そうせきちんりゅう)」という四字熟語をもじったそうです。「失敗を認めず負け惜しみする人」という意味があります。頑固者のイメージですね。

日本を代表する作家で、夏目漱石の小説は学校の教科書で読んだことがあるのではないかと思います。
夏目漱石の最初の作品は『吾輩は猫である』です。読んだことがなくても、作品名は聞いたことがあるのではないかと思います。
漱石は1903年にイギリス留学から帰国した後、現在の東京大学にあたる東京帝国大学の講師になりました。しかし学生からあまり人気がなかったそうで、色々と心労が重なり、神経衰弱に陥ってしまいましたそうです。
そんな頃に書いたのが、最初の作品である『吾輩は猫である』なんですね。
そこからは代表作である『坊っちゃん』などを続けて発表し、人気の作家の仲間入りをしました。

また夏目漱石は自宅に若い文学者を集めて会合を開いていたそうです。毎週木曜日に行われたことから「木曜会」と呼ばれています。
この木曜会に集まる若者の中から、芥川龍之介など多くの小説家を輩出しました。

夏目漱石が1,000円札の顔に選ばれた理由

夏目漱石は、教科書にも載るような作品を作家として書き上げ、日本の文学界に多大な功績を残した人物です。
作家として有名になった後も、晩年まで優秀な作品を世に送り出しことが、選ばれた理由の一つだと考えらています。

D券の肖像の選定段階では、採用された3名のほか、森鷗外、芥川龍之介、樋口一葉(現行の5,000円札)、北里柴三郎(2024年新1,000円札)など、多くの文化人が候補に挙がっていたそうです。
この候補者の中から品性・国際性・著名度の3つを基準として選考された結果、1,000円札には夏目漱石が選ばれました。
当時、1,000円札の肖像について行われた調査では、4割もの人が夏目漱石が良いと答えたそうです。
夏目漱石の人気の高さがうかがえるエピソードですね。

日本銀行券E号千円(野口英世1,000円)

野口英世1,000円

  • 発行年:2004年(平成16)年
  • 大きさ:76mm×150mm
  • 発行枚数:129億6,000万枚[黒]/129億6,000万枚[褐]/2019年〜2022年[紺]
  • 銘版:国立印刷局製造
  • 図案:野口英世/富士山と桜

野口英世1,000円札は2001年11月から発行され、現在も使用されている現行の1,000円札です。
発行は2022年9月に終了しており、2024年には日本銀行での払い出しが停止の予定です。

この野口英世1,000円札を含んだ紙幣は、日本銀行券E号と呼ばれています。
夏目漱石1,000円札の発行から20年が経過したこともあり、改刷となりました。また1990年代からのデジタル技術の進歩は凄まじく、2002年頃から今まで以上に精巧なニセ札が出回るようにもなったため、偽造技術に対する備えの必要があったそうです。そのため、こちらの1,000円札には深凹版印刷や潜像模様、パールインクやユーリオンなどさまざまな偽造防止技術が採用されています。
E号券として同時に発行されたものは樋口一葉5,000円札福沢諭吉10,000円札です。

紙幣のデザインは表面が野口英世の肖像、裏面には逆さ富士と桜が描かれています。この逆さ富士は「湖畔の春」(岡田紅陽)の写真をもとに描かれたものになっています。図案に富士山を採用しているものには岩倉具視500円(旧500円札新500円札)、そして新渡戸稲造5000円札があります。

また記番号の刷色は黒、褐、紺と変更されてきました。2回連続で記番号の印刷色が変更されるのは日本の紙幣としては史上初めてのことだったそうです。

以上のように野口英世1,000円札は大量に刷られ、また現行の紙幣でもあることから、ほとんどが額面の価値です。
ですが珍番のものですと額面以上の価値にはなるものもあります。
例えば刷色が褐色、7のゾロ目ですと18万円ほどになったことがあります。
ただ野口英世1,000円札では印刷技術進歩もあってか、エラー紙幣はほとんど出回っていないようです。

野口英世ってどんな人物?

野口英世は細菌学者です。1876(明治9)年11月9日に福島県で生まれました。
彼は1歳半の時、囲炉裏に落ちたことで左手に大きなやけどを負い、左手が不自由になるというハンディキャップを負いました。しかし周囲のサポートもあり、やがて手術を受けたことで、左手は使えるようになったそうです。
このことがきっかけで医学の素晴らしさを感じ、その道を志す選択しました。

20歳になると医師免許を取得し、医者として活躍していくことになります。
そして21歳の時に北里柴三郎の助手になり、海外とのやりとりや細菌予防などの分野にも足を踏み入れていきました。
その後1900年に渡米。梅毒スピロヘータの研究など世界的に流行していた伝染病を解決するために尽力していきます。ノーベル賞候補として推薦されるほど、細菌学者としての数々の功績を打ち立てました。

1918年からは黄熱病が流行していたエクアドルへと赴任し、黄熱病の原因究明に力を注ぎました。
黄熱病は重症者の50%が死亡するという病気です。ですが当時は症状を和らげる対症療法しか存在しませんでした。野口英世は黄熱病の脅威から人々を守るためにワクチン予防が重要だと考え、その研究に注力することになります。
しかし研究中の1928(昭和3)年、ガーナにて自らも黄熱病に感染し、51歳で無念のうちに生涯を終えています。
野口英世が黄熱病のワクチン開発を成し遂げることはできませんでした。

彼が研究者としてその身を捧げた黄熱病ですが、現在ではワクチンが開発され、感染予防に役立っています。

野口英世が1,000円札の顔に選ばれた理由

野口英世は世界の医学に多大な貢献した人物ということもあり、その功績から1,000円札の肖像画として採用されました。
科学者が肖像に採用されるのは、この野口英世が初めてです。
次1,000円札(2024年以降)でも、同じく科学者である北里柴三郎の採用が決定しています。
北里柴三郎は、野口英世ともつながりのある人物ですね。

財務省のWebサイトには、現行の紙幣について、採用した理由が掲載されています。
▶︎財務省「紙幣の図柄について、図柄の意味と、その図柄を採用した理由を教えてください

新日本銀行券千円(北里柴三郎1,000円)

新日本銀行券1,000円

  • 発行年:2024年(令和6)年予定
  • 大きさ:76mm×150mm
  • 発行枚数:—
  • 銘版:国立印刷局製造
  • 図案:北里柴三郎/富嶽三十六景

野口英世から北里柴三郎にバトンタッチされた1,000円札は、2024年(日付未定)から発行の予定です。

新紙幣のデザインは表面は紙幣の右側に北里柴三郎の肖像、裏面は葛飾北斎「富嶽三十六景」が採用予定です。
裏面で採用された葛飾北斎「富嶽三十六景」は、日本を代表する浮世絵でもあります。「富嶽三十六景」のうち「神奈川沖浪裏」の一部分、富士山と荒波の部分が大きく掲載されています。

新紙幣の情報は、現在までにそれほど多く出ているわけではありません。
偽造防止対策として、新紙幣には最新のホログラム技術が用いられているそうです。
ホログラムは現行の福沢諭吉10,000円札にも使用されていますが、こちらは額面が記載されているだけです。
新ホログラムには北里柴三郎の肖像が入っており、紙幣を傾けても3Dの肖像として違った角度の顔が見えるとか。

また新紙幣から、記番号の最大桁数が変更になります。
現在は記番号は最大9桁(AA000000A)ですが、最大10桁(AA000000AA)に変更されるそうです。
刷色は不明ですが、見本券の画像からすると、黒色から始まると考えられます。

新紙幣は現行紙幣と交換での発行ですので、十分な量を確保してからの発行になると思われます。
ですので、すぐに市中に出回ると考えられるため、価値は額面通りであると予想されます。
しかし他紙幣と同じように、ゾロ目や階段などの珍番には価値がつくと思われます。また初期ロットは、一時的に少しプレミアがつく可能性もあります。

北里柴三郎ってどんな人物?

北里柴三郎は江戸時代である1853(嘉永5)年、熊本県に生まれました。
18歳頃に蘭学や外国語を身につけたいという気持ちから熊本医学校(現・熊本大学医学部)、卒業後は東京医学校(現・東京大学医学部)に進学。その後、予防医学に従事するために内務省衛生局に入りました。

1886(明治19)年からはドイツへ留学し、細菌学の第一人者であるローベルト・コッホのもとで研究に打ち込みます。ここでは当時多くの人を死に至らしめていた「破傷風」を研究。破傷風の治療と予防ができることを発見しました。
この功績により、北里は世界に認められる細菌学者としての地位を確立しました。

帰国後は伝染病研究所所長を務め、その後、私立北里研究所(現・学校法人北里研究所)を創設。狂犬病、赤痢など、世界を悩ませていた疾病の血清開発に取り組みました。
この間に、野口英世も北里柴三郎の教えを受けたといわれています。
日本だけでなく世界中の細菌学に影響を与えた北里柴三郎は、1931(昭和6)年、78歳で亡くなりました。

北里柴三郎が1,000円札の顔に選ばれた理由

北里柴三郎は細菌学者として世界的に活躍をした偉人の一人です。
今では定期接種の項目に入っている破傷風ですが、その当時は死亡率も高く、治療法が確立されていない病気でした。そのため北里柴三郎による破傷風の血清治療の確立は、当時の世界に大きな希望を与えたことと思われます。
そして血清療法の手法は、その後の伝染病の予防や治療に大きく役立ちました。
また黒死病として中世ヨーロッパを席巻したことで知られるペストも、1894(明治27)年、北里柴三郎がペスト菌を発見したそうです。これによってペストへの対策をとることができ、感染の流行を未然に防ぐことに貢献しました。

以上のように、北里柴三郎の功績は日本内外を問わず、大きな功績を残しました。このことが、新1,000円札の肖像に選ばれた理由だと考えられます。

いずれ新紙幣が発行された後、財務省のWebサイトに採用理由が発表されることでしょう。

価値のある1,000円札は?

ここまで歴代の1,000円札の情報と価値についてお伝えしました。
これまでの価値をまとめると、以下のようになります。

  • 額面以上になる1,000円札は日本武尊と聖徳太子のもの
  • 伊藤博文、夏目漱石、野口英世1,000円札はほとんどが額面通りの価値

1,000円札は日本武尊1,000円札と聖徳太子1,000円札を除くと、どれも額面通りの価値ということがわかりました。

ですが額面通りの1,000円札でも、価値が何倍にもなる紙幣が存在するんです。
それが珍番と呼ばれる、記番号の組み合わせに特徴のある紙幣です。

ゾロ目やキリ番といった言葉を聞いたことがある方もいらっしゃると思います。それが珍番と呼ばれる紙幣になります。
この他に価値の高いものとして、印刷に起因するエラー紙幣も存在します。

ここからは、価値のある1,000円札の種類や相場をお伝えしていきます。

1,000円札【珍番】

まずは誰が見てもわかりやすい、珍番から紹介します。
それぞれ、例として一種類だけ取り上げています。
ここに掲載のない珍番の買取価格は、買取価格表をご覧ください。

ゾロ目

野口英世1,000円札の場合
1000円札野口ゾロ目

本日の買取価格

  • 【1・7】8,500円
  • 【1・7以外】7,500円
    ※状態・組合せによる

同じ数字で6桁並んだ記番号が、ゾロ目です。1〜8まで存在します。
ゾロ目のうち、1と7のものが高値になる傾向があります。
また左右対称と呼ばれる同じアルファベットにはさまれたものは、さらに価値が高くなります。

キリ番

夏目漱石1,000円札の場合
1000円札夏目キリ番

本日の買取価格

  • 【000001】8,000円
  • 【900000】4,000円
    ※状態・組合せによる

キリ番とは、簡単に言えばキリの良い数字の並びのことです。ですが価値のあるキリ番は限られています。
一番最初である記番号の000001、最後になる900000が、価値のあるキリ番です。
キリ番もアルファベットの組み合わせによって、価値は変わってきます。
また100000や400000などもキリ番ですが、上2つに比べると価値が低い傾向にあります。

階段

伊藤博文1,000円札の場合
1000円札伊藤階段

本日の買取価格

  • 【123456】15,000円
  • 【654321】6,000円
    ※状態・組合せによる

階段とは123456のように、数字が順番に並んでいる記番号のことです。654321と降っていくものは逆階段と呼ばれています。
階段は123456のものが人気があり、価値が高いです。
234567のように途中からスタートするものでも、額面以上の価値になることがあるそうです。

左右対称

聖徳太子1,000円札の場合
聖徳太子1,000円札AA

本日の買取価格

  • 【A-A】30,000円
  • 【AA-A】15,000円
    ※状態・組合せによる

左右対称とは「A000000A」のように、記番号のアルファベットが左右で同じもののことです。
各番号の初期でもあるAA(A-A券)が最も価値があり、次いでAA-A(AA-A券)に価値があります。
BやCの左右対称でも、紙幣によっては額面以上の価値にはなります。
ちなみに例示した聖徳太子1,000円は古い紙幣のため、状態によって価値に差が出てきます。
同じAA券でも美品であれば、過去、市場価値で10万円を超えたこともありました。

1,000円札【エラー】

次にご紹介するのは、エラー紙幣です。
1,000円札で高額になるエラーは、印刷に起因するエラーです。
最近の紙幣では印刷機や印刷手法の向上から、なかなかみられなくなったエラーが多いです。

位置ズレエラー紙幣

位置ズレエラー紙幣
印刷の刷り位置が、表裏でズレてしまっているものです。これは位置ズレエラーと呼ばれる紙幣です。
こちらの聖徳太子1,000円札ですと、25,000円ほどの価値があります。
状態やズレ具合によって、価値は変わってきます。ズレが大きいほどに価値は高くなります。
逆にズレの小さいものは、額面に少しプレミアが付く程度の価値です。

福耳エラー紙幣

1000円札福耳エラー紙幣
紙幣に不要部分が残ってしまったエラーです。これを福耳エラーと呼んでいます。
写真の伊藤博文1,000円札ですと、過去、市場では86万円ほどの値段がつきました。
断裁時に用紙が折れ曲がったため、不要部分が断裁されずに残ってしまうのが原因です。
印刷の色調確認に使用するカラーバーや、断裁線(トンボ)などが残っているものは、価値が高くなる傾向になります。
ちなみにこの断裁不良に伴うエラーですが、紙幣に限らず一般の書籍でも稀に見られることがあります。

1,000円札【見本券】

夏目見本券
紙幣を発行する前に、銀行やメディアなど関係各所に配られる見本券というものがあります。
使用できないようパンチ穴が開けられています。もちろん1,000円札としては使うことはできません。
見本券が市中に出回っている理由は不明ですが、見本券はコレクターの間では人気のある品物になっています。
こちらの夏目漱石の見本券ですと、状態によりますが、20万円以上で取引されています。

1,000円札【無効券】

日本武尊無効券
こちらは無効券と呼ばれる紙幣です。

第二次大戦の直後、政府によるインフレ対策の一環として預金封鎖、新券(A号券)発行が計画されました。
しかし新券が発行されるまでには、準備に多くの時間がかかります。
そのため通用が禁止になった旧紙幣に証紙を貼り付け、新券発行まで代用するという、変わった方法がとられました。
ですが、この証紙を偽造して旧紙幣に貼り付けたものも市中に出回っていたようです。

こちらの1,000円札は銀行によって証紙偽造と判断され、結果として無効とされたものです。それが無効券です。
「偽造」や「無効」なんて印が押されていると、物騒な感じがしますね。

証紙付きのこの代用券は1,000円、200円、100円、10円の4つの額面で用意されました。
そのため無効券は1,000円に限らず、他の額面の含めて稀に見かけることがあります。

ちなみに市場では日本武尊1,000円無効券は状態の良いもので28万円ぐらいになったことがあります。

一番高い1,000円札はどのぐらい?

これまで1,000円札で価値の高いものを紹介してきました。
ところで、過去最も高かった1,000円札はどれぐらいの価値があったのか気になりませんか?
その紙幣をご紹介します!

聖徳太子1000円札記番号エラー券
こちらのものは聖徳太子1,000円札のエラー券です。
コレクター向けのオークションで、なんと500万円という値段がついたそうです。

この紙幣のエラーの箇所ですが、お分かりになりますか?
記番号に注目してください。記番号の数字は左上が「E546447J」、右下が「E546747J」となっています。
一目ではわかりづらいですが、数字3桁目の「4」と「7」が違っています。
一番価値の高い1,000円札は、聖徳太子1,000円札の記番号エラーだったのですね。

ちなみに記番号のエラーは、最近ですと2,000円札「JLエラー」(記番号アルファベットの違い)が有名です。

こうした記番号のエラーは、注意して見ないと見落としてしまいます。
発行元である造幣局も、特に記番号エラーには細心の注意を払っているそうです。
可能性は低いですが、もしかしたらお手持ちの1,000円札にエラーがあるかもしれません。
お時間ある時に、宝探しのつもりで確認してみてはいかがでしょうか。

1,000円札はどうするのがいい?

ここまで、歴代の1,000円札の種類、その価値についてお伝えしてきました。
では1,000円札の価値についてまとめましょう。

  • 額面以上になる1,000円札は日本武尊と聖徳太子のもの
  • 伊藤博文、夏目漱石、野口英世1,000円札はほとんどが額面通りの価値
  • 価値が高い1,000円札は、珍番、エラー紙幣

聖徳太子、そして日本武尊の1,000円札は、普段の生活ではなかなかお目にかかることはありません。ということは普段使っている1,000円札は、ほとんどが額面の価値のものになります。
また価値が高いエラー紙幣ですが、最近の紙幣では、ほぼ市中に出回ることはありません。

ですが珍番であれば、運が良ければ手に入ることもあります。
見分け方も記番号を見るだけなので、古銭のような難しさもありません。
ですので1,000円札を入手したら、まずは記番号を確認するようにしましょう。

額面通りの1,000円札は銀行か自分で使おう

日本武尊と聖徳太子以外の1,000円札は、ほとんどが額面通りです。
ではこうした額面の価値しかない1,000円札はどうするのが良いんでしょうか。

現行の紙幣ですので、買い物で使うという方法が真っ先に浮かびます。
ですが額面通りで使用できるとはいえ、古い1,000円札を使うことをためらわれる方も多いと思います。
そして支払われた方も、困ってしまうのではないでしょうか。
お店などで実際に使えるのは、野口英世1,000円札だけだと思ってよいでしょう。

ですので、それ以外の1,000円札(伊藤博文/夏目漱石)は、銀行や郵便局で今のお札に変えてもらうのが一番の選択肢になります。

価値のある1,000円札は買取がおすすめ

では額面以上の価値のある1,000円札は、どうするのがよいでしょう。
価値あるとは言っても、そのまま使用しても額面通りの1,000円にしかなりません。
古いお札を銀行へ持って行っても、額面での交換になってしまいます。
価値を最大限に引き出すためには、換金する必要があります。

換金の方法は、個人取引からオークションまでさまざまです。
特にメルカリやラクマなどのフリマサイトは有名ですね。
ですがこういった取引は紙幣の相場や価値、状態を正しく知らないまま出品すると、思わぬ損をしたり、取引の際にトラブルとなることもあります。

一番低リスクで手間のかからない方法は、買取店に査定依頼することです。
買取店ならば、面倒なやりとりもなく即換金ができます。
近くに店舗がなくても、最近では出張買取、郵送買取に特化した店舗もあります。
特に郵送買取店ですと、店舗型の買取店よりも高額になることもあります。
また高価買取をするならば、古銭に特化した専門店の依頼するのが良いでしょう。

価値のある1,000円札は、ご自分に合った方法で換金しましょう。

以上、古い1,000円札から新しい1,000円札まで、種類とその価値についてお伝えしました。
この機会に、お手元の1,000円札をチェックしてはいかがでしょうか。
もし価値のある1,000円札を見つけたら、ぜひ査定依頼を出してみてください。

アンティーリンクでは、郵送での査定、LINEを使用したオンライン査定を行っています。
昔の1,000円札だけでなく、お手持ちの古銭や古札など、お気軽に査定依頼ください!

ちなみに1,000円には、実は硬貨も存在するんです!
こちらの記事では、1000円の額面を持つ記念硬貨について解説しています。