千円札の歴代人物は誰?全6人の肖像・発行年を一覧で解説
現在の千円札の人物は、北里柴三郎です。
北里柴三郎が肖像の日本銀行券F号千円は、2024年7月3日に発行が始まりました。
千円札には、北里柴三郎の前にも日本武尊、聖徳太子、伊藤博文、夏目漱石、野口英世が描かれています。
千円札には、日本武尊から北里柴三郎まで6人が描かれています。
目次
歴代千円札の一覧|発行年・人物・券種・裏面図案
千円札は、人物、券種、発行年、裏面の図案を比べると見分けやすくなります。
発行順と人物、券種、裏面図案を並べると、歴代千円札の流れが分かります。
| 代 | 発行開始年 | 人物 | 券種 | 裏面図案 |
|---|---|---|---|---|
| 初代 | 1945年 | 日本武尊 | 兌換券甲号千円 | 彩紋と額面 |
| 2代目 | 1950年 | 聖徳太子 | 日本銀行券B号千円 | 法隆寺夢殿 |
| 3代目 | 1963年 | 伊藤博文 | 日本銀行券C号千円 | 日本銀行本店 |
| 4代目 | 1984年 | 夏目漱石 | 日本銀行券D号千円 | 丹頂鶴 |
| 5代目 | 2004年 | 野口英世 | 日本銀行券E号千円 | 富士山と桜 |
| 6代目 | 2024年 | 北里柴三郎 | 日本銀行券F号千円 | 富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」 |
千円札の人物は何をした人?|肖像と功績一覧
歴代千円札の人物は、日本武尊、聖徳太子、伊藤博文、夏目漱石、野口英世、北里柴三郎です。
肖像、専門分野、主な功績を見比べると、人物ごとの違いが分かります。
| 人物 | 肖像画像 | 分野 | 主な功績 |
|---|---|---|---|
| 日本武尊 | ![]() |
神話上の英雄 | 『古事記』『日本書紀』に登場 |
| 聖徳太子 | ![]() |
皇族・政治家 | 十七条の憲法と冠位十二階 |
| 伊藤博文 | ![]() |
政治家 | 初代内閣総理大臣 |
| 夏目漱石 | ![]() |
小説家・英文学者 | 『吾輩は猫である』などの作品 |
| 野口英世 | ![]() |
細菌学者 | 梅毒病原体と黄熱病の研究 |
| 北里柴三郎 | ![]() |
細菌学者 | 破傷風の血清療法とペスト菌の発見 |
千円札の人物の変遷|神話の英雄から医学者へ
千円札の肖像は、日本武尊から北里柴三郎まで、神話、政治、文化、医学へと広がっています。
人物の分野を発行順に見ると、千円札が映してきた時代の関心をたどれます。
| 代 | 人物 | 人物分類 | 歴代の流れ |
|---|---|---|---|
| 初代 | 日本武尊 | 神話上の英雄 | 神話の人物 |
| 2代目 | 聖徳太子 | 皇族・政治家 | 古代史上の人物 |
| 3代目 | 伊藤博文 | 政治家 | 近代国家の政治家 |
| 4代目 | 夏目漱石 | 小説家・英文学者 | 文化人 |
| 5代目 | 野口英世 | 細菌学者 | 科学者 |
| 6代目 | 北里柴三郎 | 細菌学者 | 科学者 |
千円札のサイズ一覧
千円札は、券種によって大きさも異なります。
人物、券種、紙幣の大きさを比べると、手元の千円札を見分けやすくなります。
| 券種 | 縦 | 横 |
|---|---|---|
| 兌換券甲号千円 | 100mm | 172mm |
| 日本銀行券B号千円 | 76mm | 164mm |
| 日本銀行券C号千円 | 76mm | 164mm |
| 日本銀行券D号千円 | 76mm | 150mm |
| 日本銀行券E号千円 | 76mm | 150mm |
| 日本銀行券F号千円 | 76mm | 150mm |
千円札の発行状況と通用可否
発行が終わった旧千円札でも、日本銀行券B号からE号は現在も有効です。
| 券種 | 発行開始 | 現在の発行状況 | 通用可否 |
|---|---|---|---|
| 兌換券甲号千円 | 1945年8月 | 発行終了 | 通用停止 |
| 日本銀行券B号千円 | 1950年1月 | 現在は発行なし | 有効 |
| 日本銀行券C号千円 | 1963年11月 | 現在は発行なし | 有効 |
| 日本銀行券D号千円 | 1984年11月 | 現在は発行なし | 有効 |
| 日本銀行券E号千円 | 2004年11月 | 現在は発行なし | 有効 |
| 日本銀行券F号千円 | 2024年7月 | 現在発行中 | 有効 |
歴代千円札の人物と紙幣を詳しく紹介
歴代千円札を、初代から発行順に紹介します。
紙幣の表面と裏面を見比べると、肖像と図案の違いが分かります。
兌換券甲号千円(日本武尊1,000円)


- 発行開始:1945(昭和20)年8月
- 制定:1942(昭和17)年4月
- 大きさ:100mm×172mm
- 発行枚数:810万枚
- 銘版:内閣印刷局製造
- 図案:日本武尊と建部神社/彩紋と額面
日本武尊1,000円札は1942(昭和17)年4月に制定され、1945(昭和20)年8月に発行が始まりました。
終戦直後から約半年間使用され、1946(昭和21)年3月2日に通用が停止されました。
製造枚数はおおよそ810万枚で、紙幣としては発行枚数が少ない部類に入ります。
また1,000円という額面は、当時の最高額面でした。
もちろん、現在使用することはできない紙幣です。
紙幣のデザインは、表面に日本武尊の肖像と建部神社、裏面には彩紋と「千圓」という額面が入っています。
印刷の色味や大きさなど、いかにも昔のお札、という感じのデザインになっています。
日本武尊1,000円は希少性、さらに日本神話の英雄「日本武尊(ヤマトタケル)」の肖像も相まって、現在でも人気がある紙幣です。
状態の悪いものでも、市場では10万円前後の値段がつくことがあります。
日本武尊1,000円札は、戦時中の紙幣不足を補うため台湾や朝鮮にも送られました。

こちらのものが、台湾で使用された1,000円札の加刷券です。
裏面の台湾銀行の朱印は、台湾で使われた加刷券を見分ける手掛かりです。
また日本武尊ですが、このデザインは次の日本銀行A号券で流用される予定でした。
そのために試作された見本券が、今でも存在します。

ですがA号券では1,000円紙幣は発行されないこととなったため、幻の紙幣となっています。
ちなみにA号券は聖徳太子の肖像を採用した100円札(4次100円)が最高額面です。
この幻の紙幣は、コレクター向けのオークションにて120万円ほどの価格で取引されています。
日本武尊(ヤマトタケル)って、どんな人物?
日本武尊は『古事記』と『日本書紀』に登場する英雄です。
『古事記』では倭建命、『日本書紀』では日本武尊という記述で登場します。
読みは、どちらも「ヤマトタケルノミコト」と読みます。
「ヤマト」は国の名前、「タケル」は勇猛な人という意味です。
名前の最後につく「命」、「尊」(ミコト)とは、飛鳥~奈良時代に、神や高貴な人の名に添えられた敬称のことです。
日本武尊は大和政権(大和朝廷)による日本列島統一のため東奔西走し戦った英雄として知られています。
父である景行天皇の命で熊襲、蝦夷という敵を討伐するものの、大和国(現在の奈良県)に帰る途中で倒れ、白鳥となり天に帰ったという悲劇の物語です。
また三種の神器として有名な草薙剣の伝承も、日本武尊の物語の中に出てきます。
日本武尊が1,000円札の顔に選ばれた理由
なぜ日本武尊が紙幣に選ばれたか、その詳細は不明です。
紙幣に採用する肖像は明治20年にすでに決められており、その中で日本武尊だけが採用されていなかったため、という説があります。
日本貨幣史上最高額であり、しかも戦時中であったため、天皇家の祖先である古事記に登場する「ヤマトタケル」を選んだのかもしれません。
ですが戦後、GHQが軍国主義的な人物や図柄の銀行券の使用を禁じたため、発行停止となりました。
日本武尊は、千円札では初代だけに描かれた人物です。
日本銀行券B号千円(聖徳太子1,000円)


- 発行年:1950(昭和25)年
- 大きさ:76mm×164mm
- 発行枚数:28億万枚
- 銘版:日本政府印刷庁製造
- 図案:聖徳太子/法隆寺夢殿
聖徳太子の肖像が描かれた1,000円札は、1950年1月に発行されました。
1986年に発行停止になっていますが、現在も使用できる現役の1,000円札です。
聖徳太子の10,000円は知っていても、聖徳太子の1,000円札があったことを知らない方も多いのではないでしょうか。
紙幣のデザイン表面は、戦前から発行されている100円札(4次100円札)に引き続き、聖徳太子の肖像を採用しています。
裏面は法隆寺にある夢殿と、正倉院に納められている「四騎獅子狩文錦」の織物の図柄の一部分が採用されています。
夢殿は聖徳太子の住居であった斑鳩宮の跡地に建てられた、奈良時代を代表する八角円堂の建造物です。
もしかしたら小学校の社会科の教科書や、修学旅行などで見たことがある方もいらっしゃるかもしれません。
この聖徳太子1,000円札を含めた紙幣は、日本銀行券B号と呼ばれています。
他にも岩倉具視500円札、板垣退助100円札、高橋是清50円札が発行されています。
そしてこのB号券から、アルファベットと数字の組み合わせによる記番号が採用されました。
聖徳太子の紙幣は、よほど悪い状態でなければ少しだけプレミアがつきます。
アンティーリンクでは美品は1,300円、未使用品ですと2,500円にてお買取をしています。
しかし古いものですので、市中で見かけるもののほとんどは使用感のある状態の悪いものばかりです。
聖徳太子1,000円札はニセ札が多い?
聖徳太子1,000円札は、偽造紙幣の話題が多く残る券種です。
なんと発行から数ヶ月後には、最初のニセ札が出回っていたそうです。
こうしたニセ札は発見されると、警察によって名前がつけられるそうです。
最初の聖徳太子1,000円のニセ札は「チ-1号」と呼ばれ、「チ-38号」まであるそうです。
ちなみにこの「チ」は、額面である漢字の「千」にちなんでいるとか。
特に昭和36〜40年のニセ札「チ-37号」は、精巧なニセ札として新聞にも取り上げられ、世間を騒がせました。
ただ現在では、この「チ-37号」のニセ札は存在していないのではないか、とも言われているそうです。
他に1,000円札をめぐる有名な事件に「千円札裁判」という、最高裁まで争いになった事件がありました。
こちらは流通目的での偽造ではなく、とある芸術家が作品として制作した模造紙幣のことです。
ですので、いわゆるニセ札とは事情が異なるものです。
聖徳太子の1,000円札は14年の間、最高額面として発行され続けました。
そのためか、こうした話題が多く残っているのかもしれません。
聖徳太子ってどんな人物?
日本の紙幣の中で、もっとも多く採用されているのが聖徳太子です。
ではこの聖徳太子、どんな人物だったのでしょうか。
聖徳太子は政治家として活躍をした人物です。
聖徳太子は574年に生まれ、622年に生涯を閉じたとされています。
なにより聖徳太子という名前が有名ですが、これは称号のようなもので本当の名前ではありません。
聖徳太子は「厩戸王」と呼ばれており、本名は「厩戸豊聡耳皇子」「厩戸皇子」「上宮王」など、複数の説があります。
ほかにも、同時に複数人の話を聞き分けられる人物という意味で、豊聡耳と呼ばれていたとされます。
そして聖徳太子には歴史上、さまざまな功績があったとされています。
3つほどご紹介します。
十七条の憲法の制定
聖徳太子の偉業としてまず挙げられるのが、十七条の憲法です。
憲法といっても、今の日本国憲法のような法典とは異なり、貴族や官僚に向けた道徳規範を示したものです。
たとえば「人と争わずに和を大切にする」「仏教に帰依すること」「常に礼儀正しくせよ」などです。
冠位十二階の制定
聖徳太子は官僚を位を12段階にわけ、決められた色の冠を与え評価する制度を制定しました。
冠位は全部で6つに分かれ、さらに冠位ごとに「大徳」「小徳」のように大・小に区分しました。
そのため全部で12の冠位(6つの区分と、大・小の分類)があることから、冠位十二階制度と呼ばれています。
日本初の人事評価制度で、貴族でなくても功績や才能があれば出世することも可能であったといいます。
法隆寺の建立と仏教の振興
聖徳太子は幼少期から仏教を深く信仰し、仏教振興に努めたと言われています。
世界最古の木造建築である法隆寺、大阪府の四天王寺など、さまざまな寺院の建立に関わったとされています。
歴史的な功績を残した聖徳太子ですが、現在では「厩戸王」は存在したものの、その功績については否定的な意見が中心のようです。
数年ほど前には「教科書から聖徳太子の名前が消える」なんて話題がありました。
日本人に馴染みの深い聖徳太子という名前を消すことには、かなり反対が起こったとか。
現在は小学校の教科書では聖徳太子の表記ですが、中学校の教科書では聖徳太子(厩戸王)と併記されているようです。
また聖徳太子の肖像として有名な「聖徳太子二王子像」の肖像も、聖徳太子のものかどうか、現在では疑問視されています。
そのため教科書では「伝聖徳太子」という表記になっているそうです。
聖徳太子が1,000円札の顔に選ばれた理由
聖徳太子を1,000円札の肖像に採用した理由として、数々の功績と高い知名度が挙げられています。
十七条の憲法の制定や仏教の保護などの功績、広く知られた人物であること、肖像画の参考となる資料が残されていたことが理由として挙げられます。
こうした理由から、聖徳太子が紙幣の肖像に選ばれたと考えられます。
さきほどお伝えしたように、現在では、聖徳太子の功績や存在には疑問符がついています。
紙幣が発行された当時は、すでに肖像としての採用実績があり、国民にも親しまれていました。
当時の認識では、聖徳太子を紙幣の肖像に採用することは自然な選択だったと考えられます。
日本銀行券C号千円(伊藤博文1,000円)


- 発行年:1963年(昭和38)年
- 大きさ:76mm×164mm
- 発行枚数:129億6,000万枚[黒]/124億7,800万枚[青]
- 銘版:大蔵省印刷局製造
- 図案:伊藤博文/日本銀行
伊藤博文が肖像の日本銀行券C号千円は、1963年11月に発行が始まりました。
発行停止になったのが1986(昭和61)年ですが、現在も通用力を持つ紙幣です。
一般的に「昔の1,000円札」といわれるものは、この伊藤博文の1,000円札を指すことが多いです。
表面の右側には伊藤博文の肖像があり、その左下に日本銀行総裁の印章が印刷されています。
裏面には、日本銀行が描かれています。
このデザインは聖徳太子5,000円札にも採用されています。
伊藤博文1,000円札は、日本銀行券C号のシリーズです。
同時期の紙幣として聖徳太子10,000円、聖徳太子5,000円、岩倉具視(新)500円があります。
当時、聖徳太子1,000円札でニセ札が多く出回ったことが問題となっていました。
そのため伊藤博文1,000円札ではドイツ(当時の西ドイツ)から最新鋭の印刷機を導入し、偽造防止対策が行われました。
さらに新型印刷機の性能のおかげで表面は7色、裏面は4色という当時で最も色鮮やかな紙幣となりました。
また伊藤博文1,000円札では、日本で初めて記番号(アルファベットと数字)の刷色が変更されました。
伊藤博文1,000円札の記番号と刷色
記番号はA000001AからZ900000Zまで割り振られます。
その次はアルファベットが2桁になり、AA000001AからZZ900000Zまで順番で割り振られていきます。
なお「O(オー)」と「I(アイ)」はアラビア数字「0」「1」と間違いやすいため、記番号には使用されていません。
この組み合わせですと、全部で129億6,000万通りの番号を割り振ることができます。
つまり、紙幣は129億6,000万枚刷られると記番号が一巡することになります。
一巡した後は記番号の刷り色を変更してA000001Aから再スタートをする、というルールになっています。
最初の記番号の刷色は「黒」でしたが、記番号が一巡したため1976(昭和51)年4月発行分からは、記番号が「青」に変更されました。
そのため記番号の刷色の違いで発行期が分けられ、それぞれが前期(黒)と後期(青または紺)と呼ばれています。
伊藤博文1,000円札は発行枚数がとても多く、ほとんどのものは額面の価値しかありません。
ですがゾロ目や階段などの珍番で状態の良いものには、市場ではプレミアがつきます。
過去に前期のA-A券の未使用品で、40万円ほどの価値がついたことがあります。
伊藤博文ってどんな人物?
伊藤博文は、日本の初代内閣総理大臣となった人物です。
明治維新を成し遂げた後の日本を近代化に導きました。
総理大臣を辞任後は初代韓国総監として韓国統治に力を注ぎ、総監辞職後の1909年にハルビンで狙撃され69歳で亡くなっています。
伊藤博文の功績は華族令や内閣制度の創設など数々ありますが、最も大きい功績は憲法の制定です。
岩倉遣欧使節団としてドイツ(当時はプロイセン)では憲法を研究し、天皇を元首とした憲法の草案を作成しました。
この憲法は1889年に「大日本帝国憲法」として発布されました。
伊藤博文は44歳の時に内閣総理大臣に就任し、その後、3度も総理大臣を務めます。
伊藤博文は、44歳で内閣総理大臣に就任した最年少の人物です。
初代内閣総理大臣に就任したときの44歳という記録は、現在も更新されていません。
伊藤博文が1,000円札の顔に選ばれた理由
伊藤博文が肖像として選ばれた理由は、その功績になります。
彼は日本の初代の内閣総理大臣であり、大日本帝国憲法の起草に重要な役割を果たしました。
なによりアジアで最初の立憲制度を確立させた、という役割を評価した結果と考えられています。
ですがこの他に、もう一つ理由があったそうです。
発行に先立ち、日銀が東大の心理学教室に依頼をし、何人かの候補について国民に調査を行いました。
その時に最も好感度の高かったのが、伊藤博文だったそうです。
ちなみにこの候補の中には岩倉具視(500円札)、野口英世(旧千円札)、渋沢栄一(2024年発行の10,000円札)もいました。
そんな理由もあって、最終的には伊藤博文が採用されたそうです。
日本銀行券D号千円(夏目漱石1,000円)


- 発行年:1984年(昭和59)年
- 大きさ:76mm×150mm
- 発行枚数:129億6,000万枚[黒]/58億3,290万枚[青]/129億6,000万枚[褐]/13億4,190万枚[暗緑色/大蔵省]/49億8,000万枚[財務省]/2億4,520万枚[国立]
- 銘版:大蔵省印刷局製造/財務省印刷局製造/国立印刷局製造
- 図案:夏目漱石/二匹の鶴
夏目漱石1,000円札は、20年もの間発行されてきた伊藤博文1,000円札に変わって1984(昭和59)年に発行されました。
2007年に発行停止となっていますが、現在も使用できる1,000円札です。
夏目漱石が肖像の千円札と、それ以前の千円札は旧千円札と呼ばれます。
夏目漱石1,000円札は、日本銀行券D号とも呼ばれています。
伊藤博文1,000円札などのC券が発行から20年ほど経過し、ニセ札も増えてきていました。
また経済成長に伴う物価の上昇で、流通紙幣の増量も求められていました。
偽造対策の必要性と紙幣需要の高まりを受け、日本銀行券D号が発行されました。
夏目漱石の他には福沢諭吉(10,000円札)、新渡戸稲造(5,000円札)が採用されています。
D号券からは、武人や政治家ではなく文化人が肖像に採用される流れになりました。
表面の右側には夏目漱石の肖像があり、その左下に日本銀行総裁の印章が印刷されています。
裏面には、鶴が向かい合う図案が描かれています。
紙幣の刷色は青を基調とし、伊藤博文1,000円札より落ち着いた印象です。
またサイズも、伊藤博文1,000円札より左右幅が10mm小さくなっています。
国際的に紙幣が小型化の傾向にあったこと、また省資源化によるコスト削減の狙いもあったようです。
なにより夏目漱石1,000円札は、記番号の色が何度となく変わっています。
まず記番号の一巡、また偽造対策でのマイナーチェンジで刷色は黒色、青色、褐色と3度も変更されました。
そして行政改革の影響で製造元が変わったため、さらに暗緑色へと変わっています。
夏目漱石1,000円札の価値は、額面通りのものがほとんどです。
夏目漱石1,000円札は発行停止から15年程度であることに加え、相当な量が発行されました。
今でもお釣りに混じることがあります。
これではエラーや珍番、初期番号などでもなければ、その価値は額面通りなのも納得がいきます。
ちなみに夏目漱石1,000円初番号のA000001Aは、日本銀行の貨幣博物館に納められています。
ついで2番札のA000002Aは、新宿区にある区立漱石山房記念館に寄贈され、納められているとのことです。
夏目漱石ってどんな人物?
夏目漱石は、1867(慶応3年)年に生まれ、1916(大正5)年に49歳で亡くなりました。
明治から大正時代にかけて活躍した小説家・英文学者で、本名は夏目金之助です。
名前の漱石はペンネームで「漱石枕流(そうせきちんりゅう)」という四字熟語をもじったそうです。
「失敗を認めず負け惜しみする人」という意味があります。
頑固者のイメージですね。
日本を代表する作家で、夏目漱石の小説は学校の教科書で読んだことがあるのではないかと思います。
夏目漱石の最初の作品は『吾輩は猫である』です。
読んだことがなくても、作品名は聞いたことがあるのではないかと思います。
漱石は1903年にイギリス留学から帰国した後、現在の東京大学にあたる東京帝国大学の講師になりました。
しかし学生からあまり人気がなかったそうで、色々と心労が重なり、神経衰弱に陥ってしまいましたそうです。
そんな頃に書いたのが、最初の作品である『吾輩は猫である』なんですね。
そこからは代表作である『坊っちゃん』などを続けて発表し、人気の作家の仲間入りをしました。
また夏目漱石は自宅に若い文学者を集めて会合を開いていたそうです。
毎週木曜日に行われたことから「木曜会」と呼ばれています。
この木曜会に集まる若者の中から、芥川龍之介など多くの小説家を輩出しました。
夏目漱石が1,000円札の顔に選ばれた理由
夏目漱石は、教科書にも載るような作品を作家として書き上げ、日本の文学界に多大な功績を残した人物です。
作家として有名になった後も、晩年まで優秀な作品を世に送り出したことが、選ばれた理由の一つだと考えられています。
D券の肖像の選定段階では、採用された3名のほか、森鷗外、芥川龍之介、樋口一葉(現行の5,000円札)、北里柴三郎(2024年発行の日本銀行券F号千円)など、多くの文化人が候補に挙がっていたそうです。
この候補者の中から品性・国際性・著名度の3つを基準として選考された結果、1,000円札には夏目漱石が選ばれました。
当時、1,000円札の肖像について行われた調査では、4割もの人が夏目漱石が良いと答えたそうです。
夏目漱石の人気の高さがうかがえるエピソードですね。
日本銀行券E号千円(野口英世1,000円)


- 発行年:2004年(平成16)年
- 大きさ:76mm×150mm
- 発行枚数:129億6,000万枚[黒]/129億6,000万枚[褐]/2019年〜2022年[紺]
- 銘版:国立印刷局製造
- 図案:野口英世/富士山と桜
野口英世1,000円札は2004年11月から発行されました。
現在も通用しますが、現在発行されている千円札は北里柴三郎の日本銀行券F号千円です。
野口英世券は発行が終了しています。
ただし、現在も通用します。
この野口英世1,000円札を含んだ紙幣は、日本銀行券E号と呼ばれています。
夏目漱石1,000円札の発行から20年が経過したこともあり、改刷となりました。
また1990年代からのデジタル技術の進歩は凄まじく、2002年頃から今まで以上に精巧なニセ札が出回るようにもなったため、偽造技術に対する備えの必要があったそうです。
野口英世のE号券には、深凹版印刷や潜像模様など複数の偽造防止技術が採用されています。
E号券として同時に発行されたものは樋口一葉5,000円札、福沢諭吉10,000円札です。
紙幣の表面には野口英世の肖像、裏面には逆さ富士と桜が描かれています。
逆さ富士は、岡田紅陽の写真「湖畔の春」をもとにした図案です。
富士山を図案に採用した紙幣には、岩倉具視500円の旧500円札と新500円札、新渡戸稲造5,000円札があります。
また記番号の刷色は黒、褐、紺と変更されてきました。
2回連続で記番号の印刷色が変更されるのは日本の紙幣としては史上初めてのことだったそうです。
以上のように野口英世1,000円札は多く発行された紙幣です。
ですが珍番のものですと額面以上の価値にはなるものもあります。
例えば刷色が褐色、7のゾロ目ですと18万円ほどになったことがあります。
ただ野口英世1,000円札では印刷技術進歩もあってか、エラー紙幣はほとんど出回っていないようです。
野口英世ってどんな人物?
野口英世は細菌学者です。
1876(明治9)年11月9日に福島県で生まれました。
彼は1歳半の時、囲炉裏に落ちたことで左手に大きなやけどを負い、左手が不自由になるというハンディキャップを負いました。
しかし周囲のサポートもあり、やがて手術を受けたことで、左手は使えるようになったそうです。
このことがきっかけで医学の素晴らしさを感じ、その道を志すことを選びました。
20歳になると医師免許を取得し、医者として活躍していくことになります。
そして21歳の時に北里柴三郎の助手になり、海外とのやりとりや細菌予防などの分野にも足を踏み入れていきました。
その後1900年に渡米。
梅毒スピロヘータの研究など世界的に流行していた伝染病を解決するために尽力していきます。
ノーベル賞候補として推薦されるほど、細菌学者としての数々の功績を打ち立てました。
1918年からは黄熱病が流行していたエクアドルへと赴任し、黄熱病の原因究明に力を注ぎました。
黄熱病は重症者の50%が死亡するという病気です。
ですが当時は症状を和らげる対症療法しか存在しませんでした。
野口英世は黄熱病の脅威から人々を守るためにワクチン予防が重要だと考え、その研究に注力することになります。
しかし研究中の1928(昭和3)年、ガーナにて自らも黄熱病に感染し、51歳で無念のうちに生涯を終えています。
野口英世が黄熱病のワクチン開発を成し遂げることはできませんでした。
彼が研究者としてその身を捧げた黄熱病ですが、現在ではワクチンが開発され、感染予防に役立っています。
野口英世が1,000円札の顔に選ばれた理由
野口英世は世界の医学に多大な貢献をした人物であり、その功績から1,000円札の肖像に採用されました。
科学者が肖像に採用されるのは、この野口英世が初めてです。
2024年に発行された日本銀行券F号千円には、同じく科学者である北里柴三郎が採用されています。
野口英世は北里柴三郎の助手を務めたことがあり、両者には師弟としてのつながりがあります。
財務省のWebサイトには、現行の紙幣について、採用した理由が掲載されています。
日本銀行券F号千円(北里柴三郎1,000円)


北里柴三郎が肖像の日本銀行券F号千円は、2024年7月3日に発行が始まりました。
表面には北里柴三郎、裏面には葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」が描かれています。
北里柴三郎ってどんな人物?
北里柴三郎は1853年に熊本県で生まれた細菌学者です。
破傷風の血清療法を確立し、ペスト菌の発見でも知られています。
北里柴三郎は、感染症の予防と治療に関する研究を進め、日本の医学の発展に貢献しました。
野口英世は北里研究所に関わっており、千円札の肖像となった2人にはつながりがあります。
北里柴三郎が千円札の人物に選ばれた理由
北里柴三郎は、感染症対策と近代医学の発展に大きく貢献した細菌学者です。
日本銀行券F号千円には、こうした功績を持つ北里柴三郎が採用されました。
旧千円札は現在も使える?
聖徳太子、伊藤博文、夏目漱石、野口英世が描かれた千円札は、発行終了後も通用します。
ただし、古い紙幣は店舗での取り扱いが難しいことがあります。
使いにくいときは、日本銀行の本支店で現在発行されている紙幣と引き換えられます。
日本武尊が描かれた兌換券甲号千円は、現在は通用しません。
千円札の人物に関するよくある質問
現在の千円札の人物は誰ですか?
北里柴三郎が肖像の日本銀行券F号千円は、2024年7月3日に発行が始まりました。
北里柴三郎の前の千円札の人物は誰ですか?
野口英世が描かれたE号千円券も、現在通用します。
歴代千円札には誰が描かれていますか?
1000円札の関連記事
| 1000円札に関する記事一覧 |
|---|
| 🔗千円札の人物・歴代 |
| 🔗日本武尊1000円札 |
| 🔗聖徳太子1000円札 |
| 🔗伊藤博文1000円札 |
| 🔗夏目漱石1000円札 |
| 🔗野口英世1000円札 |
| 🔗北里柴三郎1000円札 |
| 🔗1000円札のエラー紙幣 |


































