昔の1万円札の価値は? 新1万円札の渋沢栄一ってどんな人? 1万円札の疑問にお答えします!

1万円札が新しくなるって聞きました。いつからですか?

1万円札が新しくなるのは、2024年(令和6年)の予定です。
1万円札は新しいものが発行されると、全部で4種類になります。

そうなんですね!そういえば諭吉以外の1万円札って見たことないなぁ。
その中に、10000円以上の価値になるものってあるんですか?

はい、プレミアの付く1万円札はありますよ!
鑑定士が、価値のある歴代の1万円札についてお教えいたします。

[監修/執筆:増田 英明

歴代の1万円札をざっと紹介

まずは歴代の1万円札をざっくり紹介していきます。
もっと古い1万円のことが知りたい!と言う方向けへ、後ほど詳細を載せます。

日本銀行券C号一万円(聖徳太子10,000円)

聖徳太子10,000円
最初の1万円札は聖徳太子のもので、1958年に発行されました。
聖徳太子については1万円札に先立ち、1,000円札の肖像にも採用されていました。

  • 発行年:1958(昭和33)年
  • 大きさ:84mm×174mm
  • 発行枚数:93億2,305万枚
  • 銘版:大蔵省印刷局製造
  • 図案:聖徳太子と唐草彩紋/鳳凰像

日本銀行券D号一万円(福沢諭吉【旧】10,000円)

日本銀行券D号10000円
福沢諭吉を採用した1万円札は、1984年から発行されました。
2003年に発行停止となっていますが、現在でも使用することのできる現行の1万円札です。
現在使用されているホログラムのある1万円も、表面の肖像は同じ福沢諭吉です。そのためこちらの古いものは旧福沢1万円札、旧1万円札などと呼ばれます。

  • 発行年:1984(昭和59)年
  • 大きさ:76mm×160mm
  • 発行枚数:113億0,760万枚[黒]/104億4,810万枚[茶・大蔵]/14億7,240万枚[茶・財務]/4億2,190万枚[茶・国立]
  • 銘版:大蔵省印刷局製造/財務省印刷局製造/国立印刷局製造
  • 図案:福沢諭吉/二羽のキジ

日本銀行券E号一万円(福沢諭吉【新】10,000円)

福沢諭吉10,000円
1万円札が、ホログラム付きの新券に改刷されたのは、2004年のことです。
2022年9月には新規の印刷は終了し、2024年の新券発行と同時に発行停止の予定です。
引き続き福沢諭吉の肖像が採用されたため、以前のホログラムの無いものが旧1万円札、こちらのものを新1万円札と呼ばれたりしています。

  • 発行年:2004(平成16)年
  • 大きさ:76mm×160mm
  • 発行枚数:129億6,000万枚[黒]/[茶]
  • 銘版:国立印刷局製造
  • 図案:福沢諭吉/鳳凰像

額面通りの価値しかない?

率直にお伝えすると、昔の1万円札も、今の1万円札も、そのほとんどが額面の価値にしかなりません。

普通の1万円札は、どれも額面通りの価値しかない。

と言うことです。

申し訳ございません

では価値のある1万円札とは?

記番号

ですが、価値が何倍にも跳ね上がる1万円札存在するんです。

珍番と呼ばれる、記番号がゾロ目キリ番などになっていると額面以上の価値になります。

お手元の1万円札を是非ご確認ください。

記番号アルファベットと数字の組み合わせの紙幣番号のこと。

ここからは、額面以上の価値になる記番号の種類と相場をお伝えしていきます。

価値のつく珍番

では早速、価値のある珍番を見ていきましょう。
それぞれ珍番の説明と、例として一種類を取り上げてご紹介します。

ここに掲載のない珍番の買取価格は、買取価格表をご覧ください。

ゾロ目

記番号の6桁の数字部分がすべて同じだとゾロ目です。
1〜8まで存在します。

ゾロ目ですと、1と7のものが価値が高い傾向があります。

また両側のアルファベットとの組み合わせによって、価値が高くなります。
ちなみに数桁だけが揃っているものは、コレクターの間では価値のないものとされています。

本日の買取価格
状態・組合せによる
1/7

16,000円

2/3/4/5/6/8

14,000円

キリ番

キリ番

キリ番とは、記番号の数字部分が000001や900000のようなキリのいい組み合わせのものです。

キリ番としては000001と900000の並びのものが価値が高いです。

また最初と最後のアルファベットとの組み合わせにより、高額になる可能性があります。
300000や700000なども、キリ番としての価値はあり、少しプレミアがつきます。
このほか9zという末尾が9、アルファベットがZの組み合せも、一般市場では価値があるそうです。

本日の買取価格
状態・組合せによる
000001

12,000円

900000

11,000円

階段

階段

階段とは、記番号の数字部分が1つづつ上がっていく(例えば123456)ような並びのことです。
654321のように、数字が順々に低くなっていくものは逆階段と呼ばれています。

階段の並びは123456、逆階段は654321の並びが、価値が高いです。

また876543のような並びでも、一般市場では若干のプレミアがつくようです。
ちなみに聖徳太子1万円札のものは、年月が経ち残存数も少なく希少性がありるため、他の1万円に比べて価値は高くなる傾向にあります。

本日の買取価格
状態・組合せによる
123456

30,000円

654321

20,000円

左右対称

左右対称

記番号のうち、先頭と最後のアルファベットが同じものを左右対称といいます。

左右対称はA-A券(A000000A)のもの、あるいはAA-A券(AA000000A)のものに価値があります。

特にゾロ目など他の珍番と一緒になったものですと、その価値は数倍以上になります。
最後の組み合わせになるZ-ZやZZ-Zも、少しプレミアがつくようです。

本日の買取価格
状態・組合せによる
A-A

12,000円

AA-A

10,500円

以上が珍しい記番号の一例でした。

価値のつく見本券

一万円札見本券

新紙幣を発行する前に、見本として市中の銀行やメディアなどに公開し、配布されるのが見本券です。

パンチ穴で漢字の「見本」とくり抜かれ、印もされています。
見本券は実際に使用できないよう、様々な手が加えられています。

こうした見本券はコレクターに人気のある1万円札です。聖徳太子の見本券ですと10万円以上、高いもので50万円以上の値がついたことがあるそうです。

ただし出回ることはほとんどないそうです。

価値のつく印刷エラー

最後にご紹介するのは、エラー紙幣です。
エラー紙幣は印刷時に何らかの原因で発生するものです。そのため希少性が高く、人気があります。

ですが最近では印刷後のチェック精度の向上もあり、エラーが出回ることはほとんどありません。

ホログラム無しエラー紙幣

ホログラム無しエラー

こちらは一見どこがエラーか分からないですよね。
実は、福沢諭吉新1万円札で、左下のホログラムが最初から貼り付けされていないものです。

ホログラムが無いと、同じ福沢諭吉の旧1万円札と間違えてしまいそうです。

こちらのものですと、なんと30万円以上の価値があります。
ホログラムが付いているものは、現状では福沢諭吉新1万円のみです。

もしかしたら、新紙幣の渋沢栄一1万円札でもこのようなエラーが発生するかもしれませんね。要チェックです!

福耳エラー紙幣

福耳エラー

きれいに化粧断裁されず、不要部分が残ってしまったエラー紙幣を福耳エラーと呼んでいます。

福耳の度合いにもよりますが、聖徳太子1万円札では10〜40万円ほどが相場です。
印刷の色調確認に使用するカラーバーや、トンボ(断落とし線)が残っていると価値が高くなるようです。

この福耳エラーは今の紙幣ではほぼ見られませんが、聖徳太子1万円札では稀に見られるエラーです。

一番高かった1万円札は?

ここまで1万円札のうち、価値の高いものを紹介してきました。

今まで1番高い価値のついた一万円札って、どう言う紙幣だったんですか?

気になりますよね。過去最高の買取価値がついた1万円札はこちらです!

一番高額取引された1万円札

こちらのものは、聖徳太子1万円札のA-A券記番号は000014という初期番号です。しかも状態が良いものでした。

なんと、300万円以上という価格で落札されたそうです。

聖徳太子1万円札で、保存状態のよいものは少ないです。

ええ!そんな高額に!

ましてや初期の番号ですから、発行からすでに60年以上も経過しています。その希少性から、ここまでの価値がついたのだと考えられます。

古い1万円札はどうしたらいい?

確認

ここでは1万円札の価値についてまとめた上で、どう使用するのがよいか確認していきましょう。

まとめ

  • 普通の1万円札は、どれも額面通りの価値しかない
  • 価値が高い1万円札は、記番号に特徴ある珍番やエラーのある紙幣

聖徳太子、福沢諭吉の1万円札のほとんどが、額面10,000円の価値です。
普段は目にすることのないような昔の1万円札、古いだけでは額面以上の価値はありません。

またエラー紙幣に価値があることは一般にも知られています。そのためエラーと称した真贋不明の物や加工品も見かけるもことあります。

それに対して珍番であれば、専門知識がなくても価値のある1万円札を見分けることができます。

1万円札を入手したら、最初に記番号を確認するようにしましょう。

普通の古い1万円札は銀行換金

BANK

1万円札のほとんどは、額面通りの価値しかありません。

ではプレミアのつかない1万円札はどうするのが良いんでしょうか。

古い1万円札でも現行の紙幣ですので、普段の買い物で使うことはできます。
ですが聖徳太子1万円で支払をされたら、どうでしょうか。お店の人も困ってしまいますよね。

しかも令和の時代に入ってから、聖徳太子1万円のニセ札が使用された事件が多発しました。ニュースにもなっていたので、ご存じの方も多いかもしれません。
偽札事件のこともあったので、お店で使用すると断られる可能性が高いです。

また自動販売機ですが、聖徳太子1万円はサイズが大きいため受け付けてくれません。
ホログラムの無い福沢諭吉旧1万円札も、最新の機械ですと使用できない可能性があります。

トラブル防止の観点からも、銀行や郵便局で換金するのがよさそうです。

価値のある1万円札は買取で換金

では逆にプレミア価値を持つ1万円札を見つけた場合は、どう扱えばよいでしょうか。
そのまま使ってしまうのはもったいないですよね。やはり売る方がお得でしょう。

ところで売る方法と言われて、ヤフーオークションやメルカリ、ラクマなどのフリマサイトを思いつくかもしれません。

予期せぬトラブル

すでにこういった個人取引で買い物をされている方も多いと思います。
ですが購入だけならあまり問題はないですが、売却する場合は勝手が違います。

こういったネット上での取引は個人間取引ですので、基本は自分で対応しなければなりません。
トラブルへの対応時に感情的になってしまい、思わぬ争いに発展してしまうこともあります。

これに対して、トラブルが少なく手間のかからないのは、古銭の買取専門店を使うことです。

買取専門店は査定のプロがいます
買取専門店ならば、対面でのやり取りですし、相手はプロですので安心感があります。
それに、持ち込んだその日に換金可能です。また古銭の専門店であれば、価値を正しく判断し、相場に基づいた買取金額を出してくれます。

近くに店舗がない場合は、出張買取を利用したり、郵送専門の買取店に依頼することもできます。
特に郵送専門店のような非店舗型の買取店ですと、店舗型の買取店よりも高額査定になるそうです。

持ち込み、郵送、出張買取など、希望に合った方法を選ぶことができます。
価値のある1万円札をお持ちでしたら、ぜひ古銭専門買取店のご利用を検討してみてください。

お財布の中や家に眠っている1万円札、一度チェックしてみます!

価値のある1万円札がありましたら、ぜひ査定の依頼をお待ちしています。

アンティーリンクでは、郵送での査定、またLINEでの事前で無料査定も承っております。
昔の1万円札だけでなく、お手持ちの古銭や古札など、お気軽に査定依頼ください!

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もっと知りたい!歴代の1万円札

歴代の1万円札について
ここまで、1万円札の価値や売り方についてお話ししてきましたね。
ここからは歴代の1万円札についてもっと詳しいことを知りたい人へ向けて、人物や歴史をご紹介します。1万円札は日本の最高額面の紙幣として、これまでに3種類発行されてきました。

一番古い1万円札は聖徳太子のもので、今から60年以上前の1958年に発行されました。
今使われているものは、ホログラム付きの福沢諭吉新1万円札です。

2024年には新しい紙幣に切り替わる予定です。
そうなると全部で4種類ということになります。

それでは昔のものから順に、1万円札をご紹介いたします。

日本銀行券C号一万円(聖徳太子10,000円)

聖徳太子10,000円
最初の1万円札は聖徳太子のもので、1958年に発行されました。
今から50年以上前の1965年に発行停止となっていますが、実は今でも使用できる現役の1万円札です。

  • 発行年:1958(昭和33)年
  • 大きさ:84mm×174mm
  • 発行枚数:93億2,305万枚
  • 銘版:大蔵省印刷局製造
  • 図案:聖徳太子と唐草彩紋/鳳凰像

数年前、この聖徳太子1万円札の偽造券が数多く使用された事件がありました。
それもあって、現在では使用を断られることも多くなっています。

もし10,000円として利用する場合、お近くの銀行窓口にて現在の紙幣に交換してからの使用をお勧めします。

この聖徳太子1万円札は、日本銀行券C号(C号券)と呼ばれるシリーズです。

同時期に聖徳太子5,000円札伊藤博文1,000円札岩倉具視新500円札が発行されています。
このC号券の発行は時期がバラバラで、最初は1958年に聖徳太子5,000円札が発行されました。
C号券で最後に発行されたのは岩倉具視新500円札で、1969年のことです。

紙幣のデザインは、表面が聖徳太子の肖像、裏面は二対の鳳凰像が描かれています。

表面は右側に聖徳太子の肖像、真ん中にすかし、左側に額面の10,000という、一般的な構図になっています。
これに対し裏面は、建物ではなく伝説上の鳥である鳳凰が採用されています。

過去、紙幣の裏面には建造物を中心に採用されてきました。聖徳太子の紙幣ですと法隆寺、また法隆寺の中にある夢殿が採用されてきました。
同じC号券の5,000円札では日本銀行の建物が採用されています。

ですが聖徳太子1万円札では、平等院鳳凰堂(現在の10円玉に描かれている建物)の円柱に描かれている、鳳凰の図が採用されました。

聖徳太子1万円 透かし

ちなみに法隆寺夢殿は、真ん中の透かしに採用されています。

また、この夢殿の透かしが反転印刷されてしまったエラー紙幣が存在するそうです。

そのエラー紙幣、10万円で取引されたとか…。

また、記番号が4箇所に存在します。この配置は聖徳太子5,000円札と共通です。

聖徳太子紙幣には記番号が4箇所ある

聖徳太子1万円札では、この記番号のエラーが発生したことで有名です。
有名なものは昭和49年に印刷された聖徳太子1万円で、肖像側右上と右下の記番号のうち、最後の1文字が異なるというエラーです。

JLエラー紙幣

こうした記番号のエラーは近年、2,000円札で発生した「JLエラー」で注目されました。

聖徳太子1万円札は90億枚以上も発行されました。そのためほとんどが額面通りの価値になっています。
しかし、一般にゾロ目やキリ番と呼ばれる記番号に特徴のある紙幣は、額面以上の価値があります。

聖徳太子1万円札にはいくつかエラーが存在します。エラー紙幣になると、さらに価値は高くなります。

聖徳太子ってどんな人物?

聖徳太子
聖徳太子とは、古代日本の政治家として活躍をした人物とされています。
かつては歴史の教科書に聖徳太子として、十七条憲法や冠位十二階などといった功績も、彼の功績として紹介されていました。
令和の現在では、聖徳太子(厩戸王)という名前で掲載はされているそうです。ですが、そのほとんどが本人の功績ではないと言われています。

その聖徳太子については1万円札に先立ち、1,000円札の肖像にも採用されていました。
聖徳太子の人物、功績などは1,000円札の記事にて詳しくご紹介しています。

聖徳太子が1万円札の顔に選ばれた理由

聖徳太子が1万円札の顔に選ばれた理由は、公式には発表されていません。
一般的には、その功績、国民への認知度など、総合的に判断された結果であると言われています。
聖徳太子は戦前の紙幣にも採用されており、昭和の時代にあっては、広く国民に親しまれていた偉人だったのでしょう。

その他の理由については、同じくC号券である5,000円札の記事にてご紹介しています!

日本銀行券D号一万円(福沢諭吉【旧】10,000円)

日本銀行券D号10000円 福沢諭吉【旧】
福沢諭吉を採用した1万円札は、1984年から発行されました。
2003年に発行停止となっていますが、現在でも使用することのできる現行の1万円札です。

  • 発行年:1984(昭和59)年
  • 大きさ:76mm×160mm
  • 発行枚数:113億0,760万枚[黒]/104億4,810万枚[茶・大蔵]/14億7,240万枚[茶・財務]/4億2,190万枚[茶・国立]
  • 銘版:大蔵省印刷局製造/財務省印刷局製造/国立印刷局製造
  • 図案:福沢諭吉/二羽のキジ

現在使用されているホログラムのある1万円も、表面の肖像は同じ福沢諭吉です。
そのためこちらの古いものは旧福沢1万円札、旧1万円札などと呼ばれます。

新旧福沢諭吉1万円札 ホログラムありなしの比較

福沢諭吉1万円札(旧)は、日本銀行券D号(D号券)という種別になります。
同時期に新渡戸稲造5,000円札夏目漱石1,000円札が発行されました。

またD号券はすべて1984年の11月1日から同時に発行されています。
時期はずれていますが、2000年発行の守礼門2,000円札も、D号券になります。

聖徳太子1万円の発行から20年近くが経過していたことから、国には偽造対策を急ぐ必要がありました。
たとえば印刷業者がスキャナを用いて作成したニセ札、急速に普及した自動販売機でのニセ札使用、海外製のニセ札など、技術の向上に伴い偽造の技術も向上していく、そんな時代背景でした。

発行当時は最新の技術を用いて作られる紙幣も、古くなれば技術の進歩に追い抜かれてしまいます。
そのため紙幣は10年〜20年に1度、改刷を繰り返してきました。福沢諭吉1万円への改刷も、主目的は偽造対策にあったとされています。

福沢諭吉1万円札のデザインは、表面が福沢諭吉の肖像、裏面には建造物ではなくキジが採用されています。
また透かしは肖像と同じ福沢諭吉の顔になっています。

D号券の肖像では、今までは武人や政治家が通例だったのをやめ、初めて文化人を採用しました。
国際的にも軍人や政治家ではなく、文化人を肖像に採用する流れになっていたそうです。
そんな背景もあって、D号券の10,000円札には福沢諭吉が採用されました。

また紙幣裏面のキジですが、実は日本の国鳥だそうです。
キジといえば、昔話「桃太郎」で桃太郎と一緒に鬼退治をした鳥として有名ですね。ちなみに左側の立っているキジはオス、右側の座っているキジはメスだそうです。

紙幣のサイズも縦76mm×横160mmへと縮小されました。
先の聖徳太子1万円札が84mm×174mmですので、ずいぶんコンパクトになっています。

旧福沢諭吉と聖徳太子のサイズ比較

この頃になると、世界的にも紙幣サイズが小さくなる傾向にあり、また資源の節約の意図もあって、福沢諭吉1万円札もサイズが小さくなったそうです。

紙幣サイズが小さくなったので、聖徳太子1万円札では4箇所にあった記番号も左上、右下の2箇所になりました。

記番号が左上、右下の2箇所に変更された

また記番号の刷色には黒色と茶色が存在します。
1993年までは黒色で、その後、茶色に変更されています。

紙幣の製造番号である記番号は、一番札であるA000001Aから最後の組み合わせになるZZ900000Zまで、順番に割り振られています。
ただし、数字と誤認しやすい「I(アイ)」と「O(オー)」は除外されています。

記番号の並びは、なんと129億6,000万通だそうです。

この並びがZZ900000Zとなり一巡すると、番号はA000001Aから振り直しになります。

そのままでは記番号が先の順番のものと区別できないため、刷色が変更されるというルールになっています。

ですが、福沢諭吉1万円札では129億枚を刷り切る前に、例外的に記番号の刷色が変更されました。
その理由は、紙幣をマイナーチェンジ(ミニ改刷などとも呼ばれる)し、最新の偽造対策を施したためです。この変更に合わせて、記番号の刷色が変更されました。

この時に導入された偽造対策の一つはマイクロ文字と呼ばれる、300ミクロンというとても小さな文字の印刷です。
もう一つは当時進歩の著しかったカラーコピー機では再現が難しい、特殊発光インキの使用です。
これによって紙幣偽造の難易度は格段に上がったそうです。

そして、福沢諭吉1万円札では、紙幣中央下の発行者銘が3回変更されています。
大蔵省印刷局とされていたものが、1993年12月からは財務省印刷局となり、2001年5月からは国立印刷局に変更されています。

なお大蔵省銘のものは、途中で偽造対策が施されたため、記番号の刷色が黒色のものと茶色のものが存在します。

福沢諭吉1万円札ですが発行総枚数は200億枚を超え、希少性は乏しいため、ほとんどが額面通りの価値です。
ですが、記番号の組み合わせによっては、額面以上の価値になるものもあります。

特に価値が高いものは流通品にあるような折れや汚れのない、未使用品と呼ばれる状態です。
ですが1万円札は市中で使用されるものがほとんどのため、状態の良いものは少ない傾向にあります。

福沢諭吉ってどんな人物?

福沢諭吉
福沢諭吉は歴史の教科書にも登場する有名な偉人の一人です。
幕末〜明治時代に活躍をした啓蒙思想家、教育者です。一般的には慶應義塾大学の創始者として知られていますね。福沢諭吉は1835(天保5)年に、豊前中津藩(現在の大分県中津市)の下級武士の子として、大阪の中津藩蔵屋敷で生まれました。
「諭吉」という名は、父親が福沢諭吉の誕生日に手に入れた本の名前に由来するとされています。

長崎で蘭学を学び、1859年には幕府の使節団の一員として渡米。
維新直前の1867年にも渡米をしています。しかし明治政府が誕生した後は刀を捨てて、平民として生きる決断をしています。また他の維新の功労者のように、政府に出仕することもしませんでした。

1868年に、私塾である慶應義塾を開設します。
この時から福沢諭吉は教育者としての道を進むことになります。
その経営は政府の進めた帝国大学(旧東京大学)への資金流入の影響もあり苦しかったそうですが、1880年頃には身分に関係なく教育が受けられる塾の評判はよく、平民の学生が増えたことで黒字化に向かったそうです。

その頃から慶應義塾の経営からは手を引き、教育者の活動に専念し始めたようです。
1879年には日本学士院(当時は東京学士会院)の初代会長を務めています。
また教育の質を上げるためにはより多くの学校が必要だと考え始め、多くの学校創設に関わっていきます。

たとえば現在の早稲田大学(当時は東京専門学校)、専修大学(当時は専修学校)、中央大学(当時は英吉利法律学校)など、現代日本でもその名前が知られる学校ばかりです。

1872年から1876年にかけて福沢諭吉が書き上げたのが、代表作である「学問のすすめ」です。
福沢諭吉の著作として一番有名である「学問のすすめ」は、まだ慶應義塾を開設して間もない明治5年から刊行されました。
そして「学問のすすめ」は福沢諭吉の著作物の中だけでなく、近代日本の書物においても一大ベストセラーでした。

どのぐらいだったかというと、当時の国民数で計算すると、なんと全国民の10人に1人が買ったという計算になるそうです。
明治という近代化の途中であった時代背景を考れば、いかにすごい売上だったか分かりますね。

「学問のすすめ」冒頭には、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という有名な一節があります。福沢諭吉の言葉として知られているものですね。

実は、この冒頭の一節を現代語訳すると「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと言われている」になるそうです。
どうやらこの言葉は、福沢諭吉オリジナルではなく、この一節を紹介したもののようです。

では福沢諭吉は、この言葉をどこから持ってきのでしょうか。
現在有力なのは、アメリカ独立の際にトーマス・ジェファーソンが起草した「アメリカの独立宣言」の一節を訳したものという説です。
海外事情にも精通していた福沢諭吉ならではのエピソードですね。

現代まで続く功績を数多く残した福沢諭吉ですが、晩年も精力的に学問や武道に精を出していたそうです。
そして1901年、多くの人に惜しまれながら67歳で亡くなっています。

福沢諭吉が1万円札の顔に選ばれた理由

1984年のお札デザイン変更時に「最高券面額として、品格のある紙幣にふさわしい肖像である。」「肖像の人物が一般的にも、国際的にも、知名度が高い明治以降の文化人」という理由から、福沢諭吉が紙幣の顔に選ばれることとなりました。

D号券の肖像候補には森鷗外や芥川龍之介、樋口一葉(現行の5,000円札)、北里柴三郎(2024年新1,000円札)などの文化人が挙がっていました。
他にも明治天皇、紫式部なども候補にあがっていたとか。これら候補者の中から「品性・国際性・著名度」という基準で選ばれたのが福沢諭吉でした。

なお財務省のWebサイトにも、福沢諭吉の採用理由が掲載されています。
これはE号券(新福沢諭吉1万円札)についてのものですが、D号券も同じ人物であるため、同じ理由であると思われます。

表面:福沢諭吉

最高券面額として、品格のある紙幣にふさわしい肖像であり、また、肖像の人物が一般的にも、国際的にも、知名度が高い明治以降の文化人の中から採用したものです。

福沢諭吉の肖像画は東京都港区の慶應義塾福澤研究センター所蔵の写真を素材としています。

出典:財務省:紙幣の図柄について、図柄の意味と、その図柄を採用した理由を教えてください

日本銀行券E号一万円(福沢諭吉【新】10,000円)

【新】福沢諭吉10,000円札
1万円札が、ホログラム付きの新券に改刷されたのは、2004年のことです。
2022年9月には新規の印刷は終了し、2024年の新券発行と同時に発行停止の予定です。

  • 発行年:2004(平成16)年
  • 大きさ:76mm×160mm
  • 発行枚数:129億6,000万枚[黒]/[茶]
  • 銘版:国立印刷局製造
  • 図案:福沢諭吉/鳳凰像

引き続き福沢諭吉の肖像が採用されたため、以前のホログラムの無いものが旧1万円札、こちらのホログラムがあるものを新1万円札と呼ばれたりしています。

こちらの1万円札は、E号券と呼ばれるシリーズになります。同時に発行されたものは樋口一葉5,000円札野口英世1,000円札があります。ちなみに一つ前のD号券に追加された守礼門2,000円札は改刷されておらず、今でも現役で使用されています。

E号券は、D号券が発行から20年が経過し、偽造対策の必要性から改刷されました。
特に2002〜2004年にかけて、市中に出回るニセ札の量が年間平均で2万枚を超えるという状況になっていました。

このニセ札は店頭での使用ではなく、自動販売機や両替機など、機械で使用する目的で作られたものだったそうです。
そのため以前のニセ札のように精巧ではなく、紙幣の見た目としては不完全なものも多かったとか。

紙幣のデザインは表面が福沢諭吉の肖像、裏面は平等院鳳凰堂の屋根に飾られている国宝の鳳凰像が採用されました。
サイズや図案の配置は、旧1万円と変わりません。

裏面のデザインは日本の国鳥であるキジから鳳凰像となりました。
伝説上の鳥である鳳凰には良いイメージがあり、また聖徳太子1万円札での採用実績があります。
ですが本当の理由は、偽造対策を急ぐため図案作成に時間を割けなかったからだと言われています。

というのも、実際の動物を採用すると、図案作成のための調査に時間が必要です。
しかし鳳凰像であればそうした調査は必要がありません。偽造対策まったなしという状況では、うってつけだったと考えられます。

記番号は黒色、茶色の2種類があります。
福沢諭吉新1万円は、記番号の組み合わせをすべて使い果たしたため、刷色が変更されました。

旧1万円では記番号が一巡する前に刷色変更になっています。
ですので本来のルールにのっとった刷色変更は、1万円札として初めてのことになります。

福沢諭吉新1万円札に採用されている偽造対策いくつかありますが、旧1万円と見比べてすぐに分かるのはホログラムです。

ホログラムには日銀章、額面である10000の数字、桜模様の三種類が描かれています。
ホログラムの角度を変えることで、紋様が次々に変化していきます。このホログラムは樋口一葉5000円札にも採用されています。
ですがコストがかかるため、野口英世1,000円札での使用は見送られました。

ユーリオンマーク

また偽造対策の特徴にユーリオンマークというものが採用されました。

ユーリオンマークとは、小さな円形を組み合わせた模様です。
福沢諭吉新1万円札ですと、紙幣上方に見られる蛍光イエロー(ライムグリーンにも見える)の円形模様です。

実はD号券2,000円札の一部分で採用されていた技術ですが、E号券ではその有効性から紙幣の両面に使用されました。

このユーリオンマーク、スキャナや画像編集ソフトで読み込むと、複写禁止として認識されます。

その結果、スキャナが停止したり、画像の読み込みができません。現在では世界の多くの国々で、紙幣にユーリオンマークが採用されています。

ちなみにこのユーリオンマーク、元となる技術開発企業の名をとって「オムロンマーク」とも呼ばれています。
オムロンといえば、体温計や血圧計で馴染みのある日本企業ですね。

世界でも最先端をいく偽造対策を施した福沢諭吉新1万円札ですが、現行の紙幣でもあり、価値はほとんどのものが額面通りです。
もちろん記番号に特徴がある紙幣には価値があります。今後新券に切り替わると、その価値が上がるかもしれませんね。

次は2024年に新しく発行される新一万円札の紹介です。

2024年から発行予定の新一万円札

財務省が新紙幣を、2024年7月前半をメドに発行すると発表しています。 デザイン刷新は2004年以来の20年ぶりとなります。

新日本銀行券一万円(渋沢栄一10,000円)

渋沢栄一10,000円

福沢諭吉にかわって、渋沢栄一に肖像が変更されます。

この新しい10,000円札はF号券となる予定で、1,000円札(北里柴三郎)5,000円札(津田梅子)も同時に改刷されます。

  • 発行年:2024(令和6)年予定
  • 大きさ:76mm×160mm
  • 発行枚数:未定
  • 銘版:国立印刷局製造
  • 図案:渋沢栄一/東京駅

新紙幣のデザインは表面は渋沢栄一の肖像、裏面は東京駅丸の内北口の建物になっています。
また誰でも使いやすいユニバーサルデザインを採用しています。一番目を引くのが、額面である10,000の数字ですね。
表面、裏面ともに昔の紙幣のものより大きく、視認性があがっています。

表面の肖像のベースとなっているのは、渋沢栄一が70歳の頃の写真だそうです。
渋沢栄一は過去、何度も紙幣の肖像の候補として名前が挙がっていた人物です。
C号券1,000円(伊藤博文1,000円札)の選定時、当時は細かい髭が偽造対策に有効と考えられていたため、採用されなかったこともあったそうです。今回の1万円札で、ようやく紙幣の顔として登場することになりました。

ですが、実は過去に紙幣の肖像として採用されたことがあるんです。

明治35年、渋沢が設立した株式会社第一銀行から発行された銀行券で、当時の韓国で使用されていた紙幣です。

第一銀行渋沢一円

こちらの紙幣は63歳頃の渋沢栄一をモデルにした肖像だそうです。数多くの会社経営に関わりながら、第一銀行の社長としても活躍していた時期にあたります。

こちらの紙幣(旧金券1円券)はコレクター向けのオークションで20万円以上の価格がついたことがあります。

裏面のデザインに採用された東京駅は、日本を代表する建築物です。
東京駅は大正3年に開業、当時は円形ドームを持つ3階建てでした。しかし昭和20年に空襲を受けて、3階部分は消失。
長らく2階建てのままになっていました。現在は2012年に建造当時の姿に復元されています。
その姿が、紙幣の裏面に採用されています。

紙幣左側の東京駅は駅舎を見上げた姿、紙幣右側は隣接する旧東京中央郵便局から駅舎を見下ろした姿が使用されています。
右下の駅舎の印刷は、偽造防止対策のため淡い印刷になっているそうです。

ちなみにこの東京駅で使用されている赤いレンガは、渋沢栄一の出身である深谷市(埼玉県)にあった、日本煉瓦製造会社で製造されたものだそうです。そしてこの会社を設立したのが、渋沢栄一でした。

デザインの他にも、新1万円紙幣には最新の偽造対策が施されています。

特に目をひくのが、紙幣表面の帯状ホログラムです。

このホログラムの中には、渋沢栄一の肖像が描かれています。
しかも見る角度によって、ホログラム内の肖像の向きが変わるそうです。
そのため3Dホログラムと呼ばれます。

しかし高価な技術のため、3Dホログラムは1万円札と5,000円札のみで使用されるそうです。
1,000円札には3Dではないですが、初めてホログラムが採用されることになっています。

また渋沢栄一1万円札では記番号の最大桁数が変更されます。
現在は記番号は最大9桁(AA000000A)ですが、最大10桁(AA000000AA)になるそうです。

記番号の組み合わせは129億6,000万通りから、なんと3,000億通りにもなるようです。

ですので、刷色の変更なく紙幣を発行することが可能となります。
とはいえ、近年では電子マネーやデジタル通貨などの技術が普及し始めています。
いずれにしても、記番号が最後まで使われることはなさそうです。

渋沢栄一1万円札は、現在の福沢諭吉新1万円札に換えての発行になります。
そのため準備段階で、かなりの量を印刷していると考えられます。
ですので、その価値はほぼ額面通りと予想できます。
もちろんゾロ目やキリ番といったような珍しい記番号のものは、額面以上の価値になるでしょう。

渋沢栄一ってどんな人物?

渋沢栄一
渋沢栄一は幕末期から昭和初期までの長きにわたり活躍した、「日本資本主義の父」と呼ばれる実業家です。
76歳で実業家を引退するまでの間に、現代にも続くような多くの企業を立ち上げ、育成してきました。また2020〜2021年にはNHKの大河ドラマ「青天を衝け」として、その生涯が映像化されました。
もしかしたら、すでにドラマを視聴され、どんな人物かご存知の方もいらっしゃるかもしれません。

渋沢栄一は1840(天保11)年に埼玉県深谷市血洗島に生まれました。
彼の家は農家でありながら養蚕、藍玉の卸も行う兼業農家で、渋沢栄一は幼い頃から商売に触れていたようです。
20代になると、渋沢栄一は尊王攘夷派として過激な活動を行い、郷里に身を置くには危険な状態にありました。

そこで京都へと活動拠点を移したようです。
その京都で様々な縁に恵まれ、ついには農民から武士として取り立てられ、後に江戸幕府最後の将軍となる一橋慶喜に仕えることになりました。

1867年には、渋沢栄一はフランスで行われる万国博覧会に派遣されています。
ちなみに滞在は1年ほどでしたが、この間に武士の象徴でもある髷を切り落としたそうです。

帰国後は、大政奉還後に謹慎となった徳川慶喜が身を寄せていた静岡藩に仕官。
そこで日本初の株式会社である「商法会所」を設立しました。
この商法会所では預金の受付や現金貸付、農業奨励のため米穀や肥料の買い付け、殖産興業のための資金貸与など、銀行のような業務を行なっていました。

「商法会所」は、公益につながるものに金を融通し、新しいものを創造するという「合本主義」思想に基づき設立されたそうです。この考えを基に、渋沢栄一はその後も様々な事業を手がけていきます。
渋沢栄一が設立に関わった500社近くと言われ、現在も続く企業が数多くあります。

その一例を挙げてみました。

金融 日本銀行、日本興業銀行、三井銀行、東京海上火災保険
交通・通信 日本郵船、日本航空輸送、日本無線電信
商工業 王子製紙、東京石川島造船所、秩父セメント、渋沢倉庫、理化学研究所、帝国ホテル
ライフライン 東京瓦斯(東京ガス)、大阪瓦斯(大阪ガス)、名古屋瓦斯(東邦ガス)、東京電力
取引所東京株式取引所、大阪株式取引所

どうでしょうか。誰もが聞いたことのある企業名ばかりが並んでいますね。
これを見ると、渋沢栄一が「日本資本主義の父」と呼ばれるのも納得がいきます。

ですが渋沢栄一の活躍は、実業界だけではありません。約600にも上る教育機関や社会公共事業の支援も行いました。

特に1874年設立の慈善施設「東京養育院」(現在の東京都健康長寿医療センター)の運営には、50年以上もの間、関わり続けたそうです。
この他にも実業家として得た財産を積極的に社会貢献へと投じ、経済だけでなく日本の福祉や医療をも生涯にわたって育成し続けました。

渋沢栄一は76歳で実業界を引退しました。その頃には民間外交に活動の場を移していました。
様々な国の元首や要人と直接に会談する機会も多かったようです。世界での知名度も高かった渋沢栄一は、ノーベル平和賞の候補(1926年、1927年)にもなったそうです。

渋沢栄一は1931年、老衰のため92歳で亡くなりました。葬儀の当日は、飛鳥山(東京都北区)にあった自宅から青山斎場まで、なんと2万人もの人が、葬列を見送るために並んでいたとされています。
江戸〜昭和にかけて激動の時代に残した渋沢栄一の功績は、今日に至る日本経済の土台としてこれからも語り継がれていくことでしょう。

渋沢栄一が1万円札の顔に選ばれた理由

これまでご紹介したように、渋沢栄一の功績は現代の日本発展の基盤となったものばかりです。

また経済だけでなく、文化、福祉の分野にも多大な貢献をしてきました。
紙幣の顔として採用するのには相応しい人物であったと言えます。
ですが何度となく紙幣の顔の候補として挙がっていながら、様々な理由から採用されてきませんでした。

渋沢栄一は、特に経済界での評判は高く、紙幣の顔に推す声も多かった人物です。
その念願がかない、令和の改刷では最高額面である1万円札の肖像に採用されました。

これには、低迷続く日本経済の発展を願いがこめられているのかもしれませんね。
新紙幣が発行された後、財務省のHPに公式の理由が掲載されることでしょう。