

※中国古銭(穴銭)は同種のものでもサイズ違いがあり、重く大きいほど価値が高まります
目次
咸豊元宝の市場での価値は?
咸豊元宝は、古銭収集家・コインコレクターの間で高い人気があります。
特に、希少なものや保存状態が良いものは、数万円から数百万円以上もの高値で取引されることもあります。
また、試作されただけで公式には発行されなかった試鋳貨も、非常に希少価値があり高価です。
| ネットでの取引価格 | 300円~80万円 |
|---|
特に、近年取引された高額の咸豊元宝をまとめました。
| 種類 | 取引時期 | 取引価格 |
|---|---|---|
| 咸豊元宝 当五百 彫母(宝泉局) | 1億4,453万円 | |
| 咸豊元宝 当千(宝河局) | 6,671万円 | |
| 咸豊元宝 当五百(宝巩局) | 1,282万円 | |
| 咸豊元宝 当千(宝巩局) | 3,405万円 |
価値を決めるポイント
古銭の価値は、必ずしも年代の古さだけではなく、「現存する数」と「状態の良さ」によって大きく左右されます。
価値を決めるポイントは下記のとおりです。
- 鋳造地(局名)
- 珍しい局(例:宝昌局、宝巍局など)のものは高値
- 材質
- 銅銭が主流。銀銭や鉄銭、錫銭など素材によって希少性・価値が異なる
- 大きさ・重量
- 額面が大きく、サイズも大きい方が高額になる傾向がある
- 保存状態
- 錆び、欠け、摩耗の程度が少ないものは高評価
- 母銭・試鋳貨
- 他の貨幣同様に、母銭や試鋳貨は希少なため高額
咸豊元宝は種類が非常に多いこと、そして波乱の時代に発行されたことから、希少なものが多く存在するため、大きな注目を集めているのです。
「咸豊元宝」は、単なるお金としてだけでなく、中国の激動の時代を知る貴重な手がかりといえるでしょう。
咸豊元宝(威豊元寶)とは?
咸豊元宝は中国の清朝時代、咸豊帝の年代(1851年~1861年)に発行された貨幣の一種です。
この時代は、太平天国の乱をはじめとする大規模な反乱が起こり、清朝にとって非常に困難な時期でした。
咸豊元宝は、まさにそんな清朝末期の混乱を映し出すかのような、波乱に満ちた歴史を持つお金なのです。

「咸豊元宝」読み方は?
日本の古銭界では一般的に「かんぽうげんぽう」と読まれます。
- 咸豊
- 中国の清朝における第9代皇帝、清文宗(咸豊帝)の治世に使われた年号
咸豊帝の治世は1851年から1861年までの期間※ - 元宝
- 咸豊帝の年間に発行された銭貨の中でも、特に高い額面のものを指す名称
つまり、「咸豊元宝」の文字の意味は「咸豊」という時代の「元宝」という高額面の貨幣という意味です。
なぜ「咸豊元宝」は発行されたのか?
咸豊帝が即位した頃、清朝は深刻な財政難に陥っていました。
反乱鎮圧のための軍費は増大する一方、各地で戦乱が起こり税収は減少するばかり。
さらに、貨幣の材料だった雲南省産の銅が、道路の寸断によって都に運べなくなるという問題も発生しました。
このような状況を打開するため、清政府は「通货膨胀(インフレーション)」政策に頼らざるを得なくなりました。
その一環として、咸豊3年(1853年)に発行されたのが「咸豊大銭」と呼ばれる高額な額面の貨幣でした。
「咸豊元宝」は、この咸豊大銭の中でも特に高額な額面の貨幣(当百、当五百、当千など)に付けられた名称です。
高額貨幣を発行することで、少ない材料で多くの額面の貨幣を作り、財政を補おうとしたのです。
この政策は事実上、国民の富を収奪する手段でもありました。
咸豊元宝の種類
咸豊帝の時代に発行された貨幣には、主に以下の3つの種類がありました。
他にも、地域によっては当四、当二十、当三十、当八十、当二百、当三百、当四百といった額面も発行されました。
ただし一部の鋳銭局では、当百未満の貨幣でも「元宝」の名称が使われるなど、厳密に名称の区分がされていたわけではなかったようです。
材質も多様で、銅(黄銅、紅銅、青銅、白銅)のほか、鉄や鉛で作られたものもあります。
新疆など一部の地域では、「新疆紅銭」と呼ばれる赤みを帯びた銅銭も発行されました。
額面

上下に額面が記載
「咸豊元宝」にあたる当百以上の貨幣として発行された具体的な額面には、以下のようなものがあります。
- 当百(100文相当)
- 当二百(200文相当)
- 当三百(300文相当)
- 当四百(400文相当)
- 当五百(500文相当)
- 当千(1,000文相当)
咸丰朝宝泉局所铸钱咸丰元宝有“当百”、“当二百”、“当三百”、“当五百”、“当千”等五种面值。当时采用了铜铁并铸的形式。
出典:咸丰元宝_百度百科
鋳銭局(宝局)

横方向に満州文字で宝局名が記載
一般的に咸豊元宝と称される、当百(100文に相当)以上の額面の銭貨を鋳造した鋳銭局は、以下のとおりです。
- 宝泉局(北京・戸部)
- 当百、当二百、当三百、当四百、当五百、当千の額面が鋳造
当五、当四十は試鋳品とされる
鋳造量が非常に多く現存数も最も多い
秀美な銭文が特徴 - 宝源局(北京・工部)
- 当百、当五百、当千の額面が鋳造
当四は試鋳品とされる
多くの咸豊銭を鋳造
「咸豊元宝」当千の母銭も存在 - 宝河局(河南省開封府)
- 当百、当五百、当千の額面が鋳造
咸豊元宝当千大銭は遺存量が少ない - 宝陕局(陝西省)
- 当百、当五百、当千の額面が鋳造
当千の試鋳貨も存在 - 宝巩局(甘粛省蘭州)
- 当百、当五百、当千の額面が鋳造
当二が発行された記録があるが、実物は発見されていない
「咸豊元宝背鎮庫」という鎮庫銭※(非流通品)の鉄質大銭も存在 - 宝苏局(江蘇省蘇州府)
- 当百の額面が鋳造
当五百と当千の発見報告も在り
当二十や当三十といった希少な額面も鋳造 - 宝川局(四川省成都府)
- 当百の額面が鋳造
当五百も存在 - 宝伊局(新疆伊犁)
- 当百、当五百、当千の額面が鋳造
- 阿克苏局(新疆阿克苏城)
- 当百の額面が鋳造
- 喀什噶尔局(新疆喀什噶尔城)
- 当百の額面が鋳造
- 叶尔羌局(新疆叶尔羌城)
- 当百の額面が鋳造
- 库车局(新疆库车城)
- 当百の額面が鋳造
- 宝迪局(新疆迪化)
- 当八十の額面が「咸豊元宝」の名称で鋳造
当時の人々には嫌われた
咸豊元宝をはじめとする咸豊大銭は、発行当初から不評でした。
最も大きな理由は、額面どおりの価値がない「虚値」貨幣だったことです。
例えば、額面が「当千(1,000文に相当)」の咸豊元宝でも、実際の銅の価値わずか38文程度しかないこともあったようです。製造コストを計算しても、当千の貨幣の原価は約114文程度だったとされています。
このように、額面と素材の価値が大きくかけ離れる「虚値」現象が起きてしまいました。
また、意図的な材料の減量により、同じ額面でも重さが規定より大幅に軽かったり、小さい額面の貨幣のほうが大きな額面の貨幣よりも重いといった逆転現象も起こりました。
重量变化大,因不断减重而造成轻重倒置,最大的“元宝”达2.9公斤(江苏宝苏局),最小的“通宝”形似鹅服,不足1克。当五十的重于当百的,当百的轻于当五十的。
人々は、当千の貨幣を700~800文、時には500~600文の価値としか見なかったそうです。
当五百の貨幣も、500文ではなく300~400文の価値でしか通用しなかったようです。
このように、額面の大きな貨幣を受け取ると損をするため、割高にして取引したり受け取りを拒否したりしました。
政府は強引に流通させようとしましたが、私鋳銭※(偽物)も横行し、ますます市場の混乱を招きました。
この結果、物価は高騰(インフレ)し、多くの人々の生活が苦しくなりました。
短命に終わった「咸豊元宝」
多くの不評と混乱を受け、咸豊元宝を含む高額な額面の咸豊大銭は次々と発行停止に追い込まれました。
- 咸豊4年(1854年)7月
- 当五百、当千大銭が発行停止
流通期間はわずか約半年
当二百、当三百、当四百も同時に停止 - 咸豊5年(1855年)
- 当百、当五十大銭が停止
- 咸豊9年(1859年)
- 鉄銭が停止
最終的に、北京周辺では当十の銅大銭だけが流通を続けましたが、その価値も2~3文程度にまで暴落してしまいました。
「咸豊元宝」の発行は、清朝の財政危機を一時的にしのぐための「苦肉の策」でしたが、国民生活に大きな混乱をもたらし、失敗に終わった政策といえます。
「咸豊元宝に関するよくある質問
「咸豊元宝」の読み方は?
「咸豊元宝」とは?
咸豊元宝の買取実績
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