特徴的な天保通宝の偽物を解説!おもちゃ?工芸品?

天保通宝には、”江戸時代当時の偽物“と”現代の偽物“の2つが存在しております。
江戸時代の偽物は見かけることが多いのですが、逆に、最近作られた偽物(レプリカ)はあまり見かけることはありません。

今回は、特徴的のある天保通宝の偽物を解説していきます。

最近作られた天保通宝の偽物

現代の偽物は先ほど言ったとおり、あまり見かけることはありません。
しかし、買取を行なっていると、偽物が混ざりこんでいることがあります。

三日月村の天保通宝

偽物というと悪意のある表現に聞こえてしまいますが、まず最初に紹介するものは、テーマパークで発行された天保通宝のレプリカについてです。

三日月村の天保通宝(レプリカ)
三日月村の天保通宝
こちらは、三日月村で使われていた天保通宝になります。

三日月村とは群馬県太田市にある、江戸時代をテーマにしたテーマパークです。
園内では現代のお金を通貨を両替し、天保通宝・寛永通宝を使用し実際の江戸時代のような雰囲気を楽しむことができます。

見分け方は天保通宝の裏面に「三日月村」が刻印されており、簡単に見分けることができますね。

グリコ天保通宝

グリコ天保
左:グリコ天保 右:本物の天保通宝
「グリコ天保」とは、グリコキャラメルのおまけとして人気を博した天保通宝です。

昭和33年ごろグリコキャラメルのおまけとして、5箱に1つくらいの割合で「当たり券」が入っていました。
当時はこの当たり券を10枚集めると、天保通宝やコインカタログ、コインストックブックなどと交換できました。

最初は本物の天保通宝と交換していましたが、ストックが無くなったため、真鍮で作ったレプリカ品が代用されたと言われています。

裏面
左:グリコ天保 右:本物の天保通宝
グリコ天保は前提として、この名称でいいのか悩みます。
なぜならこのグリコ天保は、「グリコ天保ではない」という説がコレクターの中で囁かれています。

本来は「グリコ天保と言われているもの」が正しいのかもしれませんが、今記事ではややこしくなってしまため「グリコ天保」と呼ばせていただきます。

グリコ天保の表面の質感
グリコ天保 表面の質感
グリコ天保と本物の天保通宝(本座という江戸幕府公認の天保通宝)との見分け方としては、彫の深さと文字の太さ独特な肌(表面)色味が黄色みがかっているなどが特徴として挙げられます。

これだけ特徴が多いため、本物と比べてみると一目瞭然です。

写真のように、グリコ天保には、魚のウロコの様な質感が特徴の1つです。

その他の偽物

その他にもたくさんの偽物があります。天保通宝の偽物の多くは出来が悪いのです。

工芸品?
工芸品の類かと思われる
今回ご紹介した偽物は、悪意をもって「人を騙そう」として作られた物では無いので簡単に見分ける事ができます。

要は玩具(おもちゃ)や工芸品の類のものになります。
一般的な感覚でいうと、子どもが遊ぶような子ども銀行券や、現行硬貨との違いがわかるように安っぽい作りがほとんどです。

近年製造された偽物

江戸時代に作られた天保通宝はやはり長い年月が経っているため、それなりに経年劣化していますが、最近作られたものには劣化が見られなかったり、不自然な加工の痕跡が見られることになります。

近年では、精巧な悪意ある偽物が増えてきており、この場合には、年季の入りよう、造り、書体などで総合的に判断する必要があります。

天保通宝の偽物の評価が上がってしまえば、精巧な偽物は確実に増えてくると思われますので、取引には注意が必要です。

江戸時代当時の偽物

天保6年(1835年)に作られた天保通宝ですが、当時の人達には好評だったようです。
小判の形をしており、キラキラと輝いていたため、すぐに受け入れられました。
しかも、寛永通宝 1文銭4~5枚分の重さしかないのに、100文分の価値があるため、持ち運びが便利でした。

しかし江戸時代当時、本物の天保通宝は、だんだん価値が下がっていくことになります。

その理由の一つは「当時の偽物」という、こっそり作られた偽物のお金の存在です。
江戸幕府が作った本物の天保通宝は約4億8500万枚でしたが、後で明治政府が集めた天保通宝の数は5億8674万枚もあったのです。
つまり、当時使われていた天保通宝の約17%が偽物だったということになります。

この偽物のお金が、天保通宝の価値が下がる原因の一つになっていました。
「天保通宝の種類」については以下をご参照ください。

天保通宝の偽物が大量に作られた理由

天保通宝の偽物が多く出回った背景には、政府の力がだんだん弱くなったことがあげられます。
その理由としてこのようなことが言われています。

安政2年(1855年)、薩摩藩が琉球で貨幣を鋳造しようとしたのですが、その願いは幕府によって却下されました。
しかし、文久2年(1862年)に薩摩藩が再度貨幣鋳造を願い出たところ、幕府は1年100万両、3年間で合計300万両の発行を許可しました。

これは、幕府が薩摩藩の実力に圧倒されて譲歩したことを示しており、幕府の力が次第に弱まっていることを象徴しています。

300万両という膨大な額は、当時の貨幣相場を考慮すると約3億枚に相当し、薩摩藩の経済的影響力が大きかったことを示しています。
これは事実上、偽物の制作を容認した事になります。

他にも慶応4年(1868年:明治元年)水戸藩においても、鋳造が認められていることが分かっております。

更に、会津藩の偽物作りも厳しく取り締まれなかったといわれております。

こうしたことから、政府の弱体化に比例しつつ偽物も増えていき、天保通宝は発行当時1枚100文だったのが40文まで価値が下がってしまいました。

現在は当時の偽物の方が価値が高い?

説明したとおり、江戸幕府が作った本物の天保通宝はおよそ5億枚に上るため、そこまで高い価値がつくことはありません。

一方で、全国各地で作られた当時の偽物は、各所それぞれ独特な書体で作られており、数が限られているため、希少価値があります。
種類によっては、10万円を超える買取金額になる場合もありますので、ぜひアンティーリンクに査定のご依頼をいただければと思います。

友だち追加