【写真で詳しく!】古代ローマコイン一覧

目次
- 【デナリウス銀貨】トラヤヌス(在位98年~117年)
- コンモドゥス(在位180~192年)
- セプティミウス・セウェルス(在位193~211年)
- セプティミウス・セウェルスの皇后「ユリア・ドムナ」(皇后として在位 193~211年)
- カラカラ(在位211~217年)
- エラガバルス(在位218~222年)
- セウェルス・アレクサンデル(在位222年~235年)
- トラヤヌス・デキウス(在位249~251年)
- ガリエヌス(在位253年~268年)
- ガリエヌスの皇后 サロニナ(皇后在位253~268年)
- ウァレリアヌス(在位253~260年)
- ポストゥムス(在位260~268年)
- ウィクトリヌス(在位268~270年)
- テトリクス(在位270~274年)
- テトリクス2世(在位273~274年)
- マクシミアヌス(在位286~305, 306~308, 310年)
- リキニウス(在位308~324年)
- マキシミヌス2世(在位310年~313年)
- リキニウス2世(在位317年~324年)
- コンスタンス(在位337~350年)
- コンスタンティウス2世(在位337~361年)
【デナリウス銀貨】トラヤヌス(在位98年~117年)
このコインは古代ローマの小額の銀貨で、デナリウス銀貨と呼ばれるコインの一種です。このコインに描かれているのは、ローマ帝国の皇帝「トラヤヌス」です。
もともと軍人としてとても優秀で、戦いの指揮がうまく、信頼も厚かったため、皇帝ネルウァに後継者として指名されました。そして98年に正式に皇帝となります。
トラヤヌスの時代、ローマ帝国は歴史上もっとも広い領土を手に入れました。東ではメソポタミア(現在のイラクあたり)まで、西ではダキア(現在のルーマニア)を征服し、たくさんの資源や金がローマにもたらされました。
さらに、彼は戦争だけでなく、道路や水道などのインフラを整備したり、貧しい人々を助けたりする政策も進めました。そのため「国を強くし、生活も良くした皇帝」として、人々から尊敬され続けています。
117年に亡くなりましたが、トラヤヌスは「最も優れた皇帝のひとり」として歴史に名を残しました。このコインに彼の姿が刻まれているのは、その偉大な功績を示しているのです。
ちなみにデナリウス銀貨自体は紀元前211年頃に造幣され始め、その後ローマ帝国時代を通じて使われましたが、時間の経過とともに含有銀量が減少し、3世紀中頃には別の銀貨(アントニニアヌス銀貨)に取って代わられていくことになります。
コンモドゥス(在位180~192年)
このコインに描かれているのは、ローマ皇帝「コンモドゥス」です。
しかし、彼は次第に政治よりも快楽にのめりこみ、反対者を処刑したり、自分の権力を誇示したりする行動が目立ちました。さらに自らを「ヘラクレスの化身」と名乗り、ライオンの毛皮やこん棒を持った姿でコインや像に描かせるなど、独特な皇帝像を演出しました。
彼の治世では、市民の支持を得るために剣闘士試合に熱中し、自ら剣闘士として闘技場に登場することもありましたが、財政は圧迫され、政治は混乱しました。最終的に192年の大晦日、側近たちによって暗殺され、帝国は再び不安定な時代に入っていきます。
コンモドゥスのコインは、彼が「伝統的な皇帝」というよりも「特異な人物」として人々に記憶されていることを示しています。
セプティミウス・セウェルス(在位193~211年)
このコインに描かれているのは、ローマ皇帝「セプティミウス・セウェルス」です。
193年、皇帝が暗殺されると後継者争いが起こり、セウェルスは軍の支持を得てローマへ進軍し、自ら皇帝となります。彼は内戦に勝利して権力を握り、以後約18年間にわたり帝国を治めました。
彼の治世では軍の力を強化し、兵士の給料を大幅に上げることで忠誠を保とうとしましたが、その結果、財政は大きな負担を抱えるようになりました。それでも軍事力を背景に帝国を安定させ、領土を広げることに成功しました。
また、法や行政の整備にも力を入れ、ローマ帝国を長く存続させる基盤を作った皇帝としても知られています。211年、遠征先のブリタニアで病に倒れ、この世を去りました。
セプティミウス・セウェルスのコインは、軍事力と政治力を背景に帝国を再建し、地方出身者として初めて大きな成功を収めた皇帝の姿を伝えています。
セプティミウス・セウェルスの皇后「ユリア・ドムナ」(皇后として在位 193~211年)
このコインに描かれているのは、ローマ皇帝セプティミウス・セウェルスの皇后「ユリア・ドムナ」です。
ユリア・ドムナはシリアの名門出身で、皇帝セウェルスと結婚すると宮廷で大きな役割を果たしました。知識人や芸術家を保護し、文化を育てたことでも知られています。また「哲学者の皇后」と呼ばれるほど、学問を重んじる人物でした。
夫の死後は、息子のカラカラとゲタを支えましたが、兄弟は仲が悪く、やがてカラカラが弟を殺して単独皇帝となります。その後もユリア・ドムナは宮廷で力を持ち続けましたが、217年にカラカラが暗殺されると失意の中で命を絶ちました。
ユリア・ドムナのコインは、皇帝の妻でありながら強い存在感を放ち、政治や文化に深く関わった女性の姿を今に伝えています。
カラカラ(在位211~217年)
このコインに描かれているのは、ローマ皇帝「カラカラ」です。
カラカラの最大の功績は212年に出した「アントニヌス勅令」です。これは、ローマ帝国に住むほとんどの自由民にローマ市民権を与えるというもので、帝国の歴史の大きな転換点となりました。
一方で、彼は残忍な性格で、弟のゲタを殺し、自分の権力を守るために多くの人々を粛清しました。また、軍人に厚い待遇を与え、兵士からの支持を得ようとしましたが、そのために財政は苦しくなりました。
217年、遠征中に部下によって暗殺され、その生涯を終えました。
カラカラのコインは、ローマ市民権の拡大という大改革を行った一方で、血なまぐさい政治を進めた皇帝の姿を伝えています。
エラガバルス(在位218~222年)
このコインに描かれているのは、ローマ皇帝「エラガバルス(ヘリオガバルス)」です。
エラガバルスは、シリアの神エラガバル(太陽神)をとても信仰していて、その信仰をローマにも広めようとしました。黒い石(隕石)を「神の象徴」としてローマに持ち込み、大きな神殿を建てたり、ローマの最高神ユピテルよりも太陽神を優先させたりしました。このことは伝統的なローマ人に強い反発を招きました。
さらに彼は、当時の価値観から見ても奇抜な行動が多く、性別を超えた格好をしたり、宮廷の秩序を乱すような振る舞いをしたりしたため、不評を買いました。そのため政治の実権はほとんど母や祖母に握られていたといわれています。
結局、エラガバルスの支配は短く、222年に近衛兵によって暗殺され、従兄弟のセウェルス・アレクサンデルが新しい皇帝となりました。
エラガバルスのコインは、若くして皇帝となり、独特な宗教観と行動で歴史に名を残した人物を伝えるものです。
セウェルス・アレクサンデル(在位222年~235年)
セウェルス・アレクサンダー帝(セウェルス・アレクサンデル)の時代に作られたローマの貨幣は、とても種類が豊富で、今でもたくさんの記録が残っています。
彼の貨幣の大きな特徴は、表面に描かれた細かく美しい肖像画です。月桂冠をかぶり、衣服や軍服をまとった姿で表現されることが多く、非常に高い芸術性を誇っています。裏面には、ローマの神々(ユピテル=木星、ソル=太陽神)や、正義(アエクイタス)や勇気(ヴィルトゥス)といった美徳を表す人物像がよく描かれました。
当時のローマでは貨幣の銀の純度が落ちてきていましたが、アレクサンダー帝のコインは比較的高い品位を保っていたことでも知られています。彼は軍事費のために大量のコインを作ったため、以前の皇帝のものより多く出回り、今でも比較的手に入れやすいのが特徴です。その一方で、保存状態や希少なデザインのものは高く評価されます。
記録されている種類は約1,000にも及び、その中にはまだ研究が進んでいないものも含まれています。
トラヤヌス・デキウス(在位249~251年)
このコインに描かれているのは、ローマ皇帝「トラヤヌス・デキウス」です。
デキウスは帝国を立て直そうと努力し、秩序と伝統を重んじる政策をとりました。特に「伝統的なローマの神々への信仰」を強く求め、全国で祭儀を行わせました。これにより、一時的には国をまとめようとしましたが、キリスト教徒への迫害も起こり、後世に「最初の大迫害」と呼ばれる出来事となりました。
彼の治世は短く、251年にゴート族との戦いで戦死してしまいます。皇帝が異民族との戦闘で直接戦死するのは、ローマ史上初めてのことでした。
トラヤヌス・デキウスのコインは、伝統を重んじつつも激動の時代に生きた皇帝の姿、そしてローマ帝国の苦しい状況を物語っています。
ガリエヌス(在位253年~268年)
このコインに描かれているのは、ローマ皇帝「ガリエヌス」です。
ローマは外からの侵入や内乱が続き、国の力が弱まり、経済も不安定になっていました。皇帝の交代も激しく、次々と短期間で皇帝が入れ替わる混乱の時代でもありました。そんな中で、ガリエヌスは15年以上皇帝の地位を保ちました。これは当時としてはとても珍しく、大きな意味があります。
彼は父のウァレリアヌス帝と共同で皇帝となり、東や西で次々と起こる戦いに対応しました。特に東方では父が捕らえられてしまい、以後はガリエヌスが単独で帝国を守ることになります。
彼の時代には、ローマ軍の改革にも取り組みました。騎兵部隊を強化し、軍の力を立て直そうとしたのです。しかし、帝国内の混乱は完全には収まらず、最終的に彼は将軍たちによって暗殺されてしまいました。
ガリエヌスの時代は、ローマが苦しい状況に立たされていた時期ですが、その中でも必死に国を支えようとした皇帝でした。このコインに彼が描かれているのは、そんな困難な時代を象徴する存在だからです。
ガリエヌスの皇后 サロニナ(皇后在位253~268年)
このコインに描かれているのは、ローマ皇帝ガリエヌスの皇后「サロニナ」です。
サロニナは、皇后としてとても影響力のある人物でした。信頼され、重要な役職を任されただけでなく、彼女の名前で貨幣が鋳造されたこともあります。コインには、ローマの女神や理想的な徳を表す姿とともに、彼女自身の肖像も描かれました。これによって、サロニナがローマ帝国で特別な存在として扱われていたことがわかります。
しかし、時代は「3世紀の危機」と呼ばれる混乱の最中で、ガリエヌスの治世も安定しませんでした。最終的に268年、ガリエヌスが暗殺され、その後のサロニナの運命についてははっきりわかっていません。ただ、多くの場合、皇帝の死後にその妻や子が処刑されることが多かったため、サロニナも同じような最期を迎えたと考えられています。
ウァレリアヌス(在位253~260年)
このコインに描かれているのは、ローマ皇帝「ウァレリアヌス」です。
ウァレリアヌスは即位後、東西に広がる大きな問題に同時に対応しなければなりませんでした。西ではゲルマン人の侵入が続き、東ではペルシア帝国(ササン朝)が勢力を拡大していました。彼は息子のガリエヌスを西方の担当とし、自分は東方へ向かいました。
初めはある程度の成果を上げましたが、260年、ペルシア王シャープール1世との戦いで大敗し、捕虜となってしまいます。ローマ皇帝が異国の王に捕らえられるのは初めてのことで、帝国に大きな衝撃を与えました。その後、彼がどのような最期を迎えたかははっきりしませんが、捕虜のまま亡くなったとされています。
このコインは、ローマの危機の時代に立ち向かおうとしたものの、皇帝として初めて敵国に捕らえられるという運命をたどったウァレリアヌスの姿を伝えています。
ポストゥムス(在位260~268年)
このコインに描かれているのは、ガリア帝国の初代皇帝「ポストゥムス」です。
ポストゥムスは外敵に強く、ゲルマン人の侵入を防いだことで現地の人々から支持を集めました。また、貨幣を大量に発行し、経済の安定にも力を入れました。彼のコインには精緻な肖像やローマ神話の神々が描かれ、芸術性の高さでも知られています。
しかし、265年には西方の領土を広げようとして失敗し、軍の支持を失っていきます。最終的に268年、部下による反乱で殺されてしまいました。
ポストゥムスのコインは、ローマから分離した「ガリア帝国」の始まりを象徴するものであり、混乱の時代に地方の安定を目指した皇帝の姿を伝えています。
ウィクトリヌス(在位268~270年)
このコインに描かれているのは、「ガリア帝国」の皇帝ウィクトリヌスです。
当時のローマ帝国は反乱や侵攻が相次ぎ、大混乱に陥っていました。その中で、ローマから離れて独立していた「ガリア帝国」という地域国家が存在し、ウィクトリヌスはその皇帝となりました。
彼は部下たちの支持を受けて即位し、ガリアの一部地域を守り続けました。帝国は弱体化していましたが、コロニア・アグリッピナ(現在のドイツ・ケルン)を首都として体制を整え、ある程度の安定を保ちました。
しかし、ウィクトリヌスは私生活で問題を抱えており、とくに女性関係での振る舞いが評判を悪くしました。最終的に、部下の家族をめぐるトラブルが原因で暗殺されてしまいます。
それでも、彼は2年間にわたりガリア帝国を支え、混乱の中で国を維持した皇帝でした。コインに刻まれた彼の姿は、分裂期のローマを象徴する存在といえます。
テトリクス(在位270~274年)
このコインに描かれているのは、ガリア帝国の皇帝「テトリクス1世」です。
テトリクスはローマに対抗しつつガリアを守ろうとしましたが、内部の不安や軍の反乱に苦しみ、帝国を安定させることはできませんでした。彼の統治下では、貨幣の質が大きく下がり、粗悪な貨幣が大量に出回ったことでも知られています。
やがてローマ皇帝アウレリアヌスとの戦いに敗れ、274年に降伏しました。その後は処刑されることなく、むしろローマで役職を与えられ、比較的穏やかな余生を送ったといわれています。
テトリクスのコインは、ローマ帝国が分裂し混乱していた時代、地方政権としてガリア帝国が存在していたことを示す貴重な歴史的証拠です。
テトリクス2世(在位273~274年)
このコインに描かれているのは、ガリア帝国最後の皇帝テトリクス1世の息子「テトリクス2世」です。
しかし、ローマ帝国のアウレリアヌス皇帝の勢いに抗うことはできず、274年のシャロンの戦いで敗北。父とともに降伏し、ガリア帝国は滅びました。
その後、テトリクス親子は処刑されることなく、ローマで役職を与えられて余生を送ったといわれています。これはアウレリアヌスが反乱を繰り返すよりも、降伏した相手を利用した方が安定につながると考えたからでした。
テトリクス2世のコインは、父と共に治めた短い皇帝時代と、ガリア帝国の最後を象徴しています。
マクシミアヌス(在位286~305, 306~308, 310年)
このコインに描かれているのは、ローマ皇帝「マクシミアヌス」です。
彼の治世では、293年にさらに権力を分け合う「四分統治制」が始まりました。これは2人の正帝と2人の副帝が協力して帝国を治める仕組みで、ローマの政治に新しい形をもたらしました。マクシミアヌスは軍事面で力を発揮し、帝国を守る役割を担いました。
305年、ディオクレティアヌスとともに退位し、一度は引退しますが、その後も権力に戻ろうとする動きを見せました。310年には再び皇帝を名乗りましたが、最終的に追い詰められて自害し、その生涯を終えました。
マクシミアヌスのコインは、ローマ帝国を分けて統治するという新しい制度の時代を象徴するものであり、彼が重要な軍人皇帝であったことを伝えています。
リキニウス(在位308~324年)
このコインに描かれているのは、ローマ皇帝「リキニウス」です。
リキニウスはコンスタンティヌス1世と協力して、皇帝マクセンティウスを討ち、ローマの支配を安定させました。313年には「ミラノ勅令」を共同で発布し、キリスト教を公認したことで知られています。しかしその後、コンスタンティヌス1世と対立し、内戦が続くことになります。
324年の戦いで敗れたリキニウスは捕らえられ、最初は命を許されましたが、後に処刑されました。
彼のコインは、ローマ帝国が複数の皇帝によって分割統治され、やがてコンスタンティヌス1世のもとに統一されていく激動の時代を伝える貴重な証拠です。
マキシミヌス2世(在位310年~313年)
このコインに描かれているのは、ローマ皇帝「マキシミヌス2世」です。
マキシミヌス2世は305年に即位し、東の地域を担当する皇帝となりました。当時のローマではキリスト教が広まり始めていましたが、彼はこれを強く弾圧し、迫害を行ったことで知られています。
やがて、他の皇帝たちとの争いが激しくなり、帝国内は混乱します。マキシミヌス2世は313年、リキニウスとの戦いに敗れ、逃げ込んだ場所で自ら命を絶ってしまいました。
短い治世でしたが、彼は「キリスト教迫害を行った最後の皇帝のひとり」として歴史に名を残しています。このコインに彼の姿が刻まれているのは、その時代の混乱と帝国の変わり目を象徴しているからです。
リキニウス2世(在位317年~324年)
このコインに描かれているのは、ローマ皇帝「リキニウス2世」です。
当時のローマ帝国は、コンスタンティヌス1世とその一族が大きな力を持っていました。リキニウス親子とコンスタンティヌスは、最初は同盟関係にありましたが、やがて対立するようになります。リキニウス2世は幼かったため、父の政治や軍事を直接担うことはありませんでしたが、「皇帝の子」として帝国の権威を示す役割を果たしました。
しかし324年、父リキニウス1世がコンスタンティヌスに敗れると、リキニウス2世も一緒に捕らえられてしまいます。最初は助けられましたが、翌年325年には処刑されてしまいました。
リキニウス2世は自分の力で何かを成し遂げた皇帝ではありませんが、「父とともに皇帝に立てられ、やがて運命を共にした悲劇の人物」として歴史に刻まれています。コインに彼が描かれているのは、その象徴的な存在を示しているのです。
コンスタンス(在位337~350年)
このコインに描かれているのは、ローマ皇帝「コンスタンス1世」です。
若い皇帝として即位したコンスタンスは、兄のコンスタンティウス2世やコンスタンティヌス2世と協力しながらも、ときには対立を繰り広げました。彼は西方の皇帝として精力的に活動し、軍を率いて帝国を守りました。
また宗教政策では、当時対立していたキリスト教のアリウス派を支持し、伝統派と衝突しました。これは帝国内の宗教分裂をさらに深めることになりました。
しかし、性格的には強引で冷酷な一面があり、反発も強まりました。350年、部下のマグネンティウスが反乱を起こすと、コンスタンスは逃亡の末に捕らえられて殺されてしまいました。
コンスタンスのコインは、ローマ帝国が兄弟によって分割統治され、内乱と宗教の対立が続いていた時代を映し出しています。
コンスタンティウス2世(在位337~361年)
このコインに描かれているのは、ローマ皇帝「コンスタンティウス2世」です。
当初は三人の兄弟で分担統治をしましたが、次第に内乱が起こり、やがて彼が唯一の皇帝となります。特に350年以降は単独支配を行いましたが、反乱や戦争も絶えず、常に不安定な状況でした。
彼の治世の大きな特徴は、宗教政策にあります。コンスタンティウス2世はキリスト教を強く支持しましたが、その中でも「アリウス派」という教えを保護しました。これは「イエスは神に従う存在である」という解釈で、伝統的な立場を取る人々とは対立しました。このため帝国内で宗教の分裂が深まりました。
また、彼は厳格で倹約家といわれ、財政の安定にも力を注ぎました。軍事や政治では強硬な面もありましたが、宗教的な統一を実現することはできませんでした。
コンスタンティウス2世のコインは、帝国が兄弟による分割から再び一人の皇帝の統治に移る過程、そしてキリスト教が国家の宗教として力を増していった時代を象徴しています。
随時更新していきます!