岩倉具視500円札の価値は?全4種類の見分け方も解説

お手元にある500円札の価値が気になる方に向けて解説していきたいと思います。

結論から言いますと、額面は500円ですがそれ以上の高値になることがございます。
歴代の500円札は新旧の2種類あり、さらに旧バージョンは3種類に分けられますので、旧が3種類と新が1種類の合計4種類に分類されます。
種類を特定し価値を見極めることが大事ですので、ぜひこちらの記事をご覧になってください。

まずは新旧の見分け方を見ていきましょう。

[監修/執筆:渡邉 博

500円札の新旧の見分け方

新旧の分かりやすい見分け方はおもて面の左側に透かしがあるかどうかです。

この赤枠のように透かしが有ると岩倉新500円。透かしが無いと岩倉旧500円です。

ちなみにここの透かしを光でかざすと桜が浮かび上がります。

新旧500円札の価値一覧表

旧岩倉か新岩倉のどちらか分かりましたら、価値を特定してみましょう。
旧バージョンならさらに3種類に分けられ、新バージョンなら1種類になります。

以下では未使用(ピン札)の値段を載せています。

岩倉旧500円札 最初期・前期・後期

市場価格
最初期 2,000円
前期 700円
後期 500円

国が定めた正式名称は「日本銀行券B号券五百円札」と言います。少し覚えにくい言い方なので、一般的には「岩倉旧500円札」と呼ばれています。
おもて面の肖像が岩倉具視で、2種類あるデザインのうちの旧バージョンなので岩倉旧500円札という名前は覚えやすいですよね。
裏面は雁ヶ腹摺山から望む富士山が描かれています。雁ヶ腹摺山(がんがはらすりやま)とは山梨百名山のうちの一つです。

終戦後、物価が上がりインフレ対策として聖徳太子1000円札が発行されました。
しかし、1000円札は当時にしてはかなりの高額の紙幣で、次に高額な紙幣が100円札なので、100円と1000円の差が大きすぎるという問題が生じてしまいました。
そのため、間を埋めるためにこの500円の額面の紙幣が昭和26年(1951年)に発行されました。

旧500円札は3種類に分類できます。
最初期・前期・後期の見分け方はこちらの項目

岩倉新500円札

市場価格
500円

正式名称は「日本銀行券C号券五百円札」と言います。
こちらも分かりやすい言い方で「岩倉新500円札」と呼ばれています。
新500円札もおもて面の肖像は岩倉具視で、裏面は雁ヶ腹摺山から望む富士山なので、紙幣に選ばれた肖像と風景は新旧ともに一緒です。

新500円札は昭和44年(1969年)に発行されました。旧500円札が発行されてから18年が経ち、偽造防止技術が陳腐化してきたので、新技術を使ってこちらが作成されました。
お馴染みの500円硬貨が昭和57年(1982年)に発行され、それ以降500円の紙幣は発行されなくなりました。

新500円札の現存枚数は非常に多く、約75億枚も印刷されたので相場は額面通りの500円です。
枚数が多いのでプレミアがつかず、今後も値上がりすることは見込めないものです。

旧500円札は3種類に分類できましたが、こちらの新500円札は1種類のみです。

岩倉旧500円札の最初期・前期・後期の見分け方は?

岩倉旧500円札は、最初期・前期・後期の3種類に区別することができます。
ではそれぞれの見分け方を最初期から順番に見ていきましょう。

最初期の見分け方は?

最初期は記番号を確認すればすぐに見分けがつきます。
こちらの赤いところが記番号になります。

以下のように記番号の左のアルファベットが1桁なら最初期。
アルファベットが2桁なら前期・後期のどちらかになります。

前期と後期の見分け方は?

次に前期と後期の見分け方をみていきます。

見分け方は紙幣の色で見分けます。

紙幣の色がクリーム色だと前期、白色だと後期です。
それでは以下の旧500円札はどちらが前期か後期か分かりますでしょうか?
白色かクリーム色かで目を凝らしてみてみましょう。

正解は、上側の紙幣は白色なので後期、下側の紙幣はクリーム色なので前期です。

ここで注意が必要なのですが、白色の紙幣の中に経年劣化で日焼けしているものもあるので、区別がつかない場合がございます。
ただ、日焼けなどで変色しているものは紙幣全体のどこかに色ムラがありますので、そこを確認していきましょう。

ちなみにクリーム色と白色で色の違いができてしまった理由は、原材料が途中で切り替わったからです。
前期の紙幣はミツマタという黄色の花が素材でしたが、後期はミツマタの値段が上昇してしまったので、代わりに木綿などの白色の素材を使いました。ミツマタは直近だと2018年に生産農家の不足で過去最高値になり、歴史的にみても生産が安定しない原材料になります。

岩倉旧500円札の見分け方まとめ

要点をまとめると、岩倉旧500円札は
・アルファベット1桁なら最初期
・アルファベット2桁で紙幣の色がクリーム色なら前期
・アルファベット2桁で紙幣の色が白色なら後期
になります。

岩倉500円札の100枚帯封と1000枚完封

岩倉500円札に100枚帯封と1000枚完封というものが存在します。
銀行で紙幣をまとめて受け取るときにこのようなものが貰えました。
このような銀行でもらえる帯付きは新品未使用なので、紙幣の記番号は連番になっています。

岩倉500円札 100枚帯封

市場価格
旧岩倉500円
帯封最初期 200,000円
帯封前期 70,000円
帯封後期 55,000円

新岩倉500円
50,000円

連番になっていますので、パラパラめくって確認してみてください。
めくるさいに折れやシワができないようにご注意ください。
後から帯を付けたものは番号が不規則になっていることが多いです。
後付けの帯封は付加価値が付かない場合がございます。

岩倉500円札 1000枚完封

市場価格
旧岩倉500円
完封最初期 2,000,000円
完封前期 700,000円
完封後期 500,000円

新岩倉500円
500,000円

連番になっていて、100枚帯封が10個入っています。
造幣局製のビニールで密閉されているため、そのままの状態で保管しましょう。

エラー紙幣・珍番号はどんなもの?

エラー紙幣と珍番号の全種類は以下の記事にまとめています。
板垣100円札を例に解説しておりますが、岩倉500円札と種類が共通しております。

エラー紙幣の解説はこちらの項目
珍番号の解説はこちらの項目

岩倉具視の人物像

2021年大河ドラマ『青天を衝け』で取り上げられるほど有名な公家の岩倉具視について、気になっている方は多いのではないでしょうか。
そもそも岩倉具視とはどういった人物なのでしょうか。
武士?政治家?など様々な憶測が飛び交っていると思います。

幕末から明治にかけて日本の近代化に貢献した政治家の一人なのですが、そんな岩倉具視について、どのような生い立ちで、具体的にどういったことを成し遂げ人なのか、ご紹介していきます。

岩倉具視のおいたち

京都で公家の家庭に次男として生まれ、幼名は周丸(かねまる)と名付けられました。しかし公家でありながら貧しい生活を送っていたと言われています。

14歳の時に岩倉家へ養子に入り名前を岩倉具視に変えました。
そして、29歳の時に関白の鷹司政通(たかつかさまさみち)の和歌の弟子となり、孝明天皇(こうめいてんのう)のもとで働き出世すると、朝廷で優れた政治力を発揮します。
その後は王政復古の実現へと導いたり、岩倉使節団の派遣など、数々の偉業を成し遂げ、国に大きな貢献をしました。
そして、58歳の時に数々の国の功績が認められ菊花大緩章を授けられました。

1883年に東京にて59歳で死去しています。岩倉具視は日本で最初に癌の告知を受け、癌によって亡くなったとされています。
死後に太政大臣の地位が贈られ、国葬が行われました。太政大臣とは、律令制度における最高位の役職です。

岩倉具視が成し遂げたこと

岩倉具視は28歳で孝明天皇のもとで働いてから、数々の偉業を成し遂げています。
どのような偉業があるか具体的にみていきましょう。

王政復古の大号令の実現】

一つ目の偉業は王政復古の大号令の実現へ導いたということです。
王政復古の大号令とは、明治新政府の設立を宣言したものです。
1867年(慶応3年12月9日)に明治天皇より発せられました。
この大号令により、徳川幕府は消滅し、新たな政府は、天皇を中心とした運営となりました。
王政復古の大号令とは、簡単に言うと「日本は、天皇を中心とする政治体制になったぞ」という宣言です。
また、「復古」というところには、もともと日本は天皇が治めた国という意味が込められており、
「様々な物事を神武創業の昔に戻す」という理念が掲げられました。
神武天皇は、日本で最初の天皇です。

「大号令」には、有無を問わず天皇の命に従わせるという意味があります。

岩倉使節団の大使

岩倉使節団とは、1871年~約2年間にわたって明治政府が派遣した欧米使節団のことです。
岩倉具視が46歳のときに欧米に向かいました。
欧米に向かった目的の一つが、当時、日本が海外と結んでいた不平等条約の改正と欧米諸国の文化や制度の偵察でした。
当時、日本は、不平等条約を5ヶ国と結んでしまったのです。
この条約を幕府は、アメリカ、オランダ、イギリス、ロシア、フランスの5ヶ国と結んでいました。

不平等条約とは、例えば…
・アメリカが犯した犯罪は、日本が裁くのではなく、アメリカ領事が裁く。
・一方的にアメリカに対して有利な取り扱いをする。

このような内容の条約を日本は5ヶ国と約束していました。

また、彼らが偵察したのは、議会や病院、学校など近代的な施設の視察を行いました。
この視察が今後の日本の近代化に大きく貢献することとなります。

1年間もの間、欧米にいた岩倉具視は、日本に戻ってきたのち、日本の文明開化のため、日本鉄道会社(現在のJRグループ)の設立を行いました。

欽定憲法(きていけんぽう)制定の方針を定める

欽定憲法とは、君主(天皇)が定めた憲法のことです。
日本にとっては、大日本帝国憲法がこれにあたります。

岩倉具視は、王政復古によって樹立した天皇中心の国家をより丈夫なものにするために、天皇が定めた成文憲法が必要だと考えました。

成文憲法とは、文章に表された法律のことです。

そのため、岩倉具視は、意見や事情を箇条書きで意見書を書き、明治14年(1881年)7月にこれを基にした、「大綱領(だいこうりょう)」が天皇に申し上げられました。

大綱領とは、物事の要点をまとめたものを言います。

この内容の多くは、大日本帝国憲法に取り入れられており、岩倉具視が間接的に日本最初の憲法制定に関わったことになります。

500円札の換金方法は?

500円札を実際に使えるお金にするにはどうすれば良いでしょうか?

方法としては以下の4種類あります。

500円札として買い物で使う

500円札はいつからいつまで買い物で使えるかご存知でしょうか?
500円札のような日本銀行が発行した日本銀行券は、特別な措置がとられない限りずっと使用することができます。
現状、特別な措置は取られていないので、全ての500円札を額面通りの500円分で買物に使うことができます。

しかし、このような旧札をお店で使う場合はトラブルになる可能性がございますのでお勧めしません。
こちらの記事に旧札を使ってみた方のお話を載せています。

銀行で換金

銀行で両替して、現在の500円玉に交換する方法もございます。換金場所は郵便局が比較的スムーズです。atmは500円札に対応していませんので、必ず窓口で換金してもらう流れになります。
しかし額面よりもプレミアが付く場合は損をしてしまいますので、価値を見極めるか売却を検討する必要があります。

ネットオークション、フリマアプリ

ネットオークションとフリマアプリで出品をしたことがある方は、こちらで売却する手段もあります。ただし、正確な価値が分からず思ったより安く値段を付けて売ってしまうリスクと、写真撮影がうまくいかず品物のコンディションがわかりづらく、悪いクレームが来てしまったりなどのデメリットもございます。また、現行貨幣であることから出品を運営側のルールにより取り消しされる場合もございます。

買取業者に依頼

買取業者に売却する場合は上記のデメリットはなく、すぐに換金できるメリットもあります。
しかし、買取業者に依頼する場合は2社以上の見積もりを出すことをお勧めします。中には相場よりかなり安い金額で値付けをしているところもありますのでご注意ください。
弊社では500円札やその他の古銭、古紙幣を業界最高値で買取していますので、お気軽にお問い合わせください。