500円札の人物は誰?岩倉具視と歴代の肖像画

500円札の肖像人物は、岩倉具視だけです。
1951年発行のB五百円券と1969年発行のC五百円券の2回にわたり、表面に岩倉具視が採用されました。
岩倉具視は、幕末から明治にかけて王政復古、岩倉使節団、憲法制定方針に関わった公家・政治家です。
目次
500円札の人物は岩倉具視だけ
歴代の500円札に描かれた人物は、岩倉具視ひとりです。
B五百円券とC五百円券は発行開始日や寸法が異なりますが、表面の肖像はどちらも岩倉具視、裏面の図柄はどちらも富士山です。
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| 券種 | 発行開始日 | 肖像人物 | 肖像 | 裏面の図柄 |
|---|---|---|---|---|
| B五百円券(B号券) | 1951年4月2日 | 岩倉具視 | ![]() |
富士山 |
| C五百円券(C号券) | 1969年11月1日 | 岩倉具視 | ![]() |
富士山 |
出典:日本銀行「五百円券」
岩倉具視はどんな人物か
岩倉具視は1825年に京都で生まれた公家・政治家です。
幕末には孝明天皇のもとで朝廷政治に関わり、明治維新後は新政府の成立と近代国家づくりに影響を与えました。
岩倉具視の経歴は、江戸幕府を終わらせる政治の転換点から、欧米視察、明治憲法の制定方針までつながっています。
1883年に59歳で亡くなり、死後に太政大臣を贈られました。
岩倉具視が行ったこと
岩倉具視は、明治維新の政治過程で重要な役割を担いました。
| 年号 | 内容 |
|---|---|
| 1867年 | 王政復古に関与 |
| 1868年 | 新政府で参与・右大臣を歴任 |
| 1871年 | 岩倉使節団の特命全権大使として欧米へ出発 |
| 1871〜1873年 | 条約改正の予備交渉と欧米の制度調査 |
| 1881年 | 欽定憲法の制定方針に関する意見書を提出 |
岩倉使節団で欧米を視察した
岩倉具視は1871年、岩倉使節団の特命全権大使としてアメリカやヨーロッパを訪問しました。
条約改正の予備交渉に加え、議会、教育、産業、医療などの制度を調査したことが、日本の近代化を考える材料になりました。
憲法制定の方針づくりに関わった
岩倉具視は、近代国家の制度を整えるために欽定憲法の制定が必要だと考えました。
1881年に提出した意見書は、大日本帝国憲法の制定方針に影響を与えたとされています。
岩倉具視がB・C五百円券に採用された経緯
戦後にGHQへ示された20人の肖像候補
戦後、大蔵省は日本銀行券の肖像候補を再検討し、GHQへ20人の候補者リストを提出しました。
資料では、20人のうち12人は了承を得て、8人は承認されなかったと説明されています。
| 区分 | 肖像候補者 |
|---|---|
| 了承された12人 | 聖徳太子、貝原益軒、板垣退助、木戸孝允、大久保利通、野口英世、岩倉具視、二宮尊徳、福沢諭吉、青木昆陽、夏目漱石、吉原重俊 |
| 承認されなかった8人 | 光明皇后、菅原道真、松方正義、新井白石、伊能忠敬、勝海舟、三条実美、渋沢栄一 |
資料には、GHQが不承認理由を一切明示しなかったと記されています。
B五百円券で岩倉具視が採用された
日本貨幣商協同組合の資料では、B五百円券の肖像候補には高橋是清と大隈重信も挙がっていたものの、明治維新の元勲であり、明治新政府で右大臣を務めた岩倉具視が採用されたと説明されています。
C五百円券は、別の人物を新たに選ぶのではなく、B五百円券の岩倉具視と富士山を引き継いだ改刷券です。
日本貨幣商協同組合の資料では、B五百円券の発行から約18年後、偽造防止対策を強化するためにC五百円券が発行され、岩倉具視と富士山の基本図柄は維持されたと説明されています。
B・C五百円券の肖像は同じか
B五百円券とC五百円券は、1889年に制作された銅版肖像を共通の参考資料としていますが、紙幣に使われた凹版肖像は別々に制作されています。
肖像制作の担当
- 共通の参考資料:エドアルド・キヨッソーネ
- B五百円券の凹版肖像:加藤倉吉
- C五百円券の凹版肖像:笠野常雄
キヨッソーネの銅版肖像、B五百円券、C五百円券を同じ大きさの枠で並べると、B券とC券は同じ銅版肖像を参考にしながら、別々の凹版肖像として制作されたことが分かります。
C五百円券の肖像はB五百円券の約1.5倍の大きさで、より細かな画線を用いて彫刻されています。

出典:日本銀行「五百円券」(B・C五百円券)
| 項目 | B五百円券 | C五百円券 |
|---|---|---|
| 共通の参考資料 | 1889年制作のキヨッソーネによる銅版肖像 | 1889年制作のキヨッソーネによる銅版肖像 |
| 紙幣用の凹版肖像 | 加藤倉吉が制作 | 笠野常雄が制作 |
| 肖像の表現 | 蝶ネクタイの平服姿 | 蝶ネクタイの平服姿、B券より約1.5倍大で細密な画線 |
紙幣肖像の元になった1889年の銅版画
B・C五百円券の肖像の参考資料は、エドアルド・キヨッソーネが1889年に制作した岩倉具視の大型銅版画です。
作品名は「右大臣従一位大勲位・岩倉具視公」で、大きさは縦55cm、横41cmです。
銅版画では、左胸に勲一等菊花大綬章などの勲章を着け、右肩から左腰へサッシュを掛けた大礼服姿で描かれています。
B五百円券では、大礼服姿を蝶ネクタイの平服姿へ改め、キヨッソーネの銅版肖像から顔の向きを左右反転させて凹版原版が作られました。
紙幣用の肖像を制作した人
紙幣用の岩倉具視肖像は、B五百円券とC五百円券で別の彫刻官が制作しました。
| 段階 | 担当者 | 補足 |
|---|---|---|
| 参考となった銅版肖像 | エドアルド・キヨッソーネ | 1889年に大型銅版画を制作 |
| B五百円券の表面デザイン | 大野為次 | 表面全体のデザインを担当 |
| B五百円券の凹版肖像 | 加藤倉吉 | 1946年12月から1947年2月にかけて原版を完成 |
| C五百円券の表面デザイン | 嶋田式夫 | 表面のデザインを担当 |
| C五百円券の凹版肖像 | 笠野常雄 | 1889年の銅版画を参考に、新たな凹版肖像を制作 |
| C五百円券の裏面デザイン | 野沢保人 | 裏面のデザインを担当 |
| C五百円券の富士山の凹版彫刻 | 押切勝造 | 裏面の富士山を凹版で彫刻 |
加藤倉吉は、B五百円券の発行前に印刷局を退職していましたが、在職中の1946年12月から1947年2月にかけて岩倉具視の凹版原版※を完成させていました。
B五百円券の制作時、印刷局には岩倉具視のコンテ画※や写真が残っていませんでした。
キヨッソーネが制作した大型銅版画が残されていたため、加藤倉吉は大型銅版画を基にB五百円券の肖像を制作しました。
国立印刷局は、笠野常雄が描いた岩倉具視のコンテ画も紹介しています。
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500円札の人物に関するよくある質問
500円札の人物は誰ですか?
B五百円券とC五百円券のどちらにも岩倉具視が描かれています。
岩倉具視は何と読みますか?
幕末から明治にかけて活動した公家・政治家です。
板垣退助の500円札はありますか?
板垣退助が描かれた紙幣は100円札です。
































