寛永通宝の松本銭とは?見分け方や歴史を解説
松本銭(まつもとせん)は、現在の長野県松本市で鋳造された寛永通宝です。
寛永通宝の初期の種類である「古寛永」に含まれます。
この記事では、松本銭の文字の特徴による見分け方や松本で鋳造が始まった歴史を紹介します。
松本銭の見分け方は「寶」の文字に注目
松本銭を見分けるときは、「寶」の足の形と文字の傾きを確認します。
古寛永に共通する「ス寶」
古寛永は「寶」の足の部分が「ス」の形になっている書体が特徴です。

松本銭を含む古寛永に共通する特徴です。
一方、後の時代に登場した新寛永では、足の部分が「ハ」の形になっているのが特徴です。

まずは「寶」の字の足の部分を確認して、新寛永か古寛永か判断しましょう。
古寛永であることが確認出来たら、続いて文字の傾きを確認しましょう。
「寶」が斜めになっている「斜寶」
次に確認するのは、「寶」の文字が斜めになっていることです。
この特徴を「斜寶」と呼びます。

比較画像を見ながら、「寶」の傾きに注目してみてください。
松本銭を見分ける手がかり
- 「寶」の足が「ス」の形になっているか確認する
- 「寶」の文字が斜めになっているか確認する
これらの特徴に当てはまる寛永通宝は、松本銭の可能性があります。
松本銭の歴史と鋳造を伝える資料
松本銭は、幕府が寛永通宝を全国に流通させるため、各地に鋳造所を設けた時期に作られました。
現在の長野県松本市にあたる松本藩も、その鋳造地の1つです。

松本に鋳造所が置かれた背景
松本に鋳造所が置かれた背景には、当時の城主・松平直政と徳川将軍家の親戚関係や、直政自身の要請があったと考えられています。
当時の松本藩は7万石の小規模な藩でした。

1636年、幕府は江戸の芝と近江の坂本で寛永通宝の鋳造を始めました。
近江は、現在の滋賀県にあたります。
翌1637年には、松本を含む8か所に鋳造所が設けられました。
- 水戸・仙台
- 吉田・松本・高田
- 萩・岡山・竹田
松本市の解説では、将軍家との関係や直政の強い要請が、松本に銭座を置く理由として挙げられています。
銭座とは、銭を鋳造する場所です。
今井家が伝えた枝銭と鋳造の許状
松本市立博物館には、松本での鋳造を伝える「枝銭(えだぜに)」と「許状(きょじょう)」が残っています。
どちらも、鋳造を請け負った今井家に代々伝えられた資料です。
枝銭は、銭が枝のようにつながったままの状態で残されたものです。
流通する前の製造過程を伝える、貴重な資料です。
許状は、1636年(寛永13年)12月27日に、松本藩の奉行人7名が連署して今井勘右衛門に出したものです。
新しい銭の鋳造を認め、今後ほかの者が願い出ても許可しないという内容が記されています。
枝銭と許状は、1991年に今井家から松本市へ寄贈されました。
松本で寛永通宝が作られていたことを裏付ける資料として、松本市立博物館に保管されています。
その他寛永通宝に関する記事
松本銭以外にも、寛永通宝に関する価値や種類の記事もございますので、良ければ併せてご覧ください。
| 寛永通宝に関する記事一覧 |
|---|
| 🔗寛永通宝の価値と買取価格表 |
| 🔗寛永通宝の母銭の見分け方 |
| 🔗寛永通宝の種類一覧 |
| 🔗島屋文の見分け方 |
| 🔗松本銭の見分け方 |





























