寛永通宝の鉄銭を徹底解説!

日本初の全国共通貨幣として有名な寛永通宝、その歴史は銅を材料とした鋳造で始まりました。
時代を経て加工のバリエーションが増える一方で、鉄を材料とするものが登場します。
今回の主役はその鉄銭。
登場時期や分類のルール、材料変更に至った経緯を解説します。
- 古銭鑑定士
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2012年、古銭買取専門店「アンティーリンク」を創業し、古銭の買取・販売を始める。
2022年、日本唯一の古銭鑑定機関「貨幣商協同組合」に加盟
現在は古銭鑑定士として、テレビ等メディア出演多数
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目次
🌟 寛永通宝の鉄銭がたくさん作られた理由とその影響
江戸時代、幕府は「寛永通宝(かんえいつうほう)」というお金を発行していました。はじめは銅で作っていましたが、やがて鉄でも作られるようになりました。その流れを、当時の出来事にそってわかりやすく説明します。
①銅が足りなくなり、1738年ごろから鉄銭が登場!
江戸時代の元文4年(1738年)ごろ、銭の値段が不安定になったり、銅の材料が足りなくなったりしたため、幕府はやむを得ず鉄でお金を作り始めました。これが「鉄一文銭(てついちもんせん)」です。
最初に鉄銭を作ったのは、
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江戸・深川十万坪
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仙台・石巻
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江戸・本所や押上
その後も作る場所(=銭座)は増えていき、
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明和2年(1765年):江戸・亀戸
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明和4年(1767年):京都・伏見
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明和5年(1768年):仙台・石巻や常陸太田
このころには鉄の銭が大量に作られるようになり、銭の価値(銭相場)がどんどん下がっていきました。たとえば安永7年(1778年)ごろには、一両=6000文くらいの価値になりました。
②鉄の銭は「鍋銭」と呼ばれ、不評だった
鉄一文銭は評判が悪く、「鍋銭(なべせん)」とバカにされるほどでした。
とくに伏見で作られたあたりからは、
「このあとの鉄銭は、どれも質が悪い。茶碗のかけらや土がまじっている」
「金属のきれいな音が鳴らない」
と文句を言われていました。
また、もともとは「質の悪いお金」を意味していた「鐚銭(びたせん)」という言葉も、この時代には鉄一文銭のことを指すようになったと言われています。
③天保時代や安政時代にも、鉄銭が必要とされた
天保6年(1835年)には、江戸の深川で「天保通宝」といっしょに鉄銭が作られました。これは「洲崎銭(すざきせん)」と呼ばれましたが、量はあまり多くなく、約5800万枚ほどでした。
安政6年(1859年)には、外国と貿易が始まりました(安政の開港)。そのとき、日本の銅銭が中国で高く売れることがわかり、商人たちが日本の銅銭をどんどん中国に持って行ってしまいました。
そこで幕府は、銅一文銭を集めて回収し、代わりに鉄一文銭や天保通宝を渡す交換制度を始めました。このとき使うために、江戸・小菅(こすげ)で5億2000万枚の鉄銭を作ったのです。
④鉄銭ばかりになり、銅銭は姿を消した(グレシャムの法則)
鉄銭が増える一方で、銅のお金はどんどん姿を消していきました。
これは「グレシャムの法則」という現象で、「質の悪いお金(鉄銭)が出回ると、質の良いお金(銅銭)が使われなくなる」という仕組みです。
でも幕末になると、銅のお金の価値のほうが高くなり、鉄銭と銅銭が両方使われるようになりました。そして明治時代になると、鉄一文銭は「勝手に溶かしていい」とされ、また銅銭が主役となったのです。
⑤鉄一文銭の総数とコストの話
鉄一文銭はとてもたくさん作られ、
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総数:約63億枚(明治時代の調査)
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多く作られた場所は、亀戸(22億枚)、伏見(14億枚)、常陸太田(7億枚)など
そしてなんと、鉄銭1枚(1文)を作るのに4文もかかっていたそうです!
それでも幕府は、「お金の流れを止めない」ために、赤字を覚悟で作り続けました。
これは、今の1円玉も作るのに1円以上かかっているのと少し似ていますね。
🌟 高額な寛永通宝の鉄銭とは?
高い金額で取引される寛永通宝の鉄銭を確認していきましょう。

以下順次、更新していきますので、ご参考までに!
・広穿背佐 1862年 ・・・ 通用銭は少額
・輪十後打 1739年 ・・・ 通用銭は少額
・押上大字 1739年 ・・・ 通用銭は少額
・押上小字 1739年 ・・・ 通用銭も高額
・石ノ巻銭(大字背千) 1739年 ・・・ 通用銭は少額
・石ノ巻銭(尖り千) 1838年 ・・・ 通用銭は少額
・一ノ瀬銭(低寛背一) 1740年 ・・・ 通用銭も高額
・小名木川銭(輪並川) 1740年 ・・・
・和歌山銭(繊字) 1740年頃 ・・・ 通用銭は少額
・和歌山銭(虎ノ尾寛) 1740年頃 ・・・
・加島銭(内跳寛縮永) 1740年頃 ・・・
・亀戸大様 1765年 ・・・
・飯田銭(小字玉点宝) 1765年 ・・・ 通用銭も高額
・常陸太田銭(小字背久) 1768年 ・・・ 通用銭は少額
・石ノ巻銭(削頭千) 1866年 ・・・ 通用銭は少額
・太ノ 1866年 ・・・
・背イ 1866年 ・・・ 通用銭は少額
・背ト 1869年 ・・・ 通用銭は少額
なぜ銅を鉄に?材料変更の理由と評判
新寛永の登場を境に、世に出始める鉄銭。
材料変更の背景にあった事情と、その評判を解説します。
銭ごとに見る材料変更
裏面の文字の紹介で名前が登場した銭の材料変更の履歴を先ずは確認しましょう。
名称 | 鋳造開始時期 | 材料 | 裏面の文字 |
---|---|---|---|
亀戸銭 | 1668年~1737年 | 銅 | 文 |
1765年 | 鉄 | 文 | |
1768年 | 銅・鉄 | 文 | |
十万坪銭 | 1726年~1736年 | 銅 | 十 |
1739年 | 鉄 | 十 | |
小梅銭 | 1737年 | 銅 | 小 |
1739年 | 銅 | 小 | |
小名木川銭 | 1740年 | 鉄 | 川 |
石の巻銭 | 1728年 | 銅 | 仙 |
1739年~1838年 | 鉄 | 千 | |
太田銭 | 1768年 | 鉄 | 久 |
1774年 | 鉄 | 久・二 | |
水戸銭 | 1844年 | 鉄 | ト |
足尾銭 | 1741年 | 銅 | 足 |
佐渡相川銭 | 1714年~1735年 | 銅 | 佐 |
1740年 | 銅・鉄 | 佐 | |
1741年~1781年 | 銅 | 佐 | |
1862年 | 鉄 | 佐 | |
高津銭 | 1741年 | 銅 | 元 |
長崎銭 | 1767年 | 銅 | 長 |
一ノ瀬銭 | 1741年 | 銅・鉄 | 一・十 |
1743年 | 鉄 | 一・十 |
新寛永の変遷をパターンに分けて解説します。
- 足尾銭
- 高津銭
- 長崎銭
古寛永からの流れを引き継ぎ、一貫して銅を使用しています。
- 小名木川銭
- 太田銭
- 水戸銭
逆に最初から鉄を使用しているパターン。
取り上げている銭のなかでは少数派です。
- 亀戸銭
- 十万坪銭
- 小梅銭
- 石の巻銭
- 佐渡相川銭
- 一ノ瀬銭
途中で材料を変更している場合、銅が先発で鉄が後発、という流れが共通しています。
注目したいのは石の巻銭。
材料の変更に合わせて裏面の文字を変更し、銅と鉄で銭を区別する目的がありそうですね。
- 亀戸銭
- 佐渡相川銭
- 一ノ瀬銭
最初は銅を使用していた点を踏まえれば、鉄への完全移行は避けたい、という意思が透けてきます。
- 佐渡相川銭
銅のみで鋳造を開始。
鉄との併用を許容した後、一度は銅のみの体制に戻ります。
しかしながら、最終的には鉄に一本化されています。
③~⑤が分かりやすいですが、どちらかといえば銅を使いたい、という気持ちが伺えますね。
増産のペースに追いつかない銅資源の供給
材料変更の原因は、銅資源の枯渇です。
幕府が貨幣統一を成し遂げて以降、高まり続ける需要に銅資源の供給が追い付かず、代替案として鉄銭の鋳造を始めました。
世間のリアクションを受けて、試行錯誤された鉄銭
不安定になりつつあった銭の供給を落ち着かせるために導入された鉄銭でしたが、世間からの評判は散々なものでした。
粗悪な品質が悪評を呼び、鍋銭(なべせん)という不名誉な別称まで生まれる始末。
鉄の一文銭を四文のコストで鋳造する赤字覚悟の政策でしたが、状況打開の一手とはなりませんでした。
その後、真鍮四文銭の登場で事態は一度収束に向かいます。
銭の供給が落ち着きを取り戻した1860年、幕府はすっかり世間に浸透した四文銭でリベンジに臨みます。
それまでの経験を糧に良質な鉄四文銭の普及を目指しました。
精錬された鉄の使用をアピールポイントとして打ち出しましたが、結果は惨敗。
発行益がマイナスのまま鋳造は打ち切られ、従来より減量した銅四文銭「文久永宝」の鋳造に切り替えました。
鉄銭は寛永通宝の苦しい時代を今に伝える古銭
銅の資源不足を解決するべく誕生した鉄銭は、世間からの非難に晒されながらも日本の経済を支えた貨幣でした。
不遇な生い立ちを抱える一方で、鋳造技術の進歩が著しい時代に作られたので、銭文の1画をとっても個性が光ります。
以上、当スタッフブログでは、古銭の世界を覗きたくなる話題をお届けしています。
更新の折には、そちらもぜひご覧ください。
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