日露戦争軍票とは?特徴とその価値について解説

日露戦争は、1904年から1905年にかけて勃発したロシアとの戦争で、日本にとっても転機となった大きな戦争です。
この戦争では、アジアの小国である日本が列強国であるロシアに勝利し、有色人種でも白色人種に勝てることを証明しました。
実はこの戦争は予兆があり、日露戦争で発行されていた日露戦争軍票は事前に準備がしっかりされていたのです。
ここでは日露戦争軍票の価値とともに日露戦争の背景まで解説します。

日露戦争軍票とは?

日露戦争軍票は、1904年に勃発した日露戦争の時に発行された6種類の軍票です。
作りは簡素なものでしたが、当時の日本通貨であった明治通宝のデザインがそのまま流用されているほか、戦地であった満州朝鮮半島での使用を考えて裏面にハングル文字での記載もあります。
日露戦争は日清戦争の後の、ロシアとの関係悪化による戦争の予兆があったために事前に軍票の用意がされていたため、戦争開始直後から多くの枚数が発行されました。
なおかつ、日露戦争は日本が初めて列強国に勝利した戦争でもあったため、終戦後に記念に持ち帰る軍人も多く、現在でも多くの軍票が現存しています。

日露戦争軍票はなぜ事前に準備できたのか

実は日露戦争は日清戦争の後から戦争の予兆がありました。
そのため、事前に戦争のための準備を行い、アジアの小国である日本が列強国に名を連ねるロシアに勝利することができたのです。

日本は1894年に日清戦争に勝利したことで、戦利品として台湾とその周辺の澎湖諸島(ほうこしょとう)、遼東半島(りょうとんはんとう)を獲得する下関条約を締結しました。
しかし、この下関条約に不凍港として遼東半島が欲しいロシアが待ったをかけたことで徐々にロシアとの関係が悪化してしまうのです。
さらにこれを同時期に日清戦争の敗北によって諸外国からの侵攻を受けた清が、諸外国に対して宣戦布告をする「義和団事件」が発生します。
ロシアはこの義和団事件を鎮圧する目的で満州に軍を派遣したのにも関わらず、満州に居座り続けたのです。
日本としては朝鮮の支配権さえ手に入ればそれでよかったため、ロシアに「朝鮮の支配権が日本にあれば、満州国はロシアの支配下でかまわない」という交渉を持ちかけます。
しかし、この交渉が決裂したために、日本視点では『朝鮮の支配権をロシアから守るための戦争』として日露戦争に発展しました。

日露戦争軍票は記念に持ち帰る人も多かった

日露戦争軍票は終戦後、銀貨に交換が可能なため、銀貨と引き換えに多くの軍票が回収されました。
しかし、当時圧倒的に優勢とされていたロシアに勝利したことでアジア唯一の列強国となった歴史的な勝利を収めた戦争だたために低額の軍票は記念に持ち帰る人も多かったようです。
そのため、低額の軍票は比較的多く現存しており今でも頻繁に取引がされています。

この日露戦争の勝利は、列強国に名を連ねた日本の大きな転換点です。
それと同時に、終戦後に結ばれたポーツマス条約によって賠償金がもらえなかったことで日本経済は不況に陥り、資本主義も大きく発展したりと日本の情勢にも大きな影響をもたらしました。

日露戦争軍票一覧とその価値

日露戦争軍票は10円、5円、1円、50銭、20銭、10銭の6種類が発行されています。
1円以下の低額軍票は、勝利記念にと持ち帰る人が多かったため、希少価値はそこまで高いものではありません。
しかし、5円10円は銀貨と交換に多くが回収されたため希少価値が高く、群を抜く買取相場となっています。

日露戦争軍票のデザインは第一次世界大戦中も使用された

日露戦争軍票は続く第一次世界大戦でもデザインを流用したものが発行・使用されることになります。
1914年の青島出兵では裏面に同盟国イギリスのための英語の但し書き、1918年のシベリア出兵では現地に合わせたロシア語での但し書きが加筆されたものが使用されていました。

出典
日本銀行
日本銀行
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