庄内一分銀の価値とは?種類別の買取価格一覧表・真贋について詳しく解説!

庄内一分銀の価値とは?種類別の買取価格一覧表・真贋について詳しく解説!

江戸時代の終わりにあたる1830~50年代、山形県の庄内地方で使われた「庄内一分銀」という貨幣があります。庄内一分銀とはとはどんなお金なのか、どれぐらいの価値があるか、庄内一分銀の種類別買取価格、真贋について解説します。

また、庄内一分銀の類似貨幣についても解説します。

目次

庄内一分銀とは

「庄内一分銀(しょうないいちぶぎん)」とは、江戸時代の終わりに当たる19世紀中ごろ、主に今の山形県庄内地方で使われていた銀貨の一種です。
ここでは、庄内一分銀の特徴や使われていた時代などについて解説します。
庄内一分銀
本日の買取価格
庄内一分銀

5,000円~

使っていた時代、当時の価値

庄内一分銀とは「天保一分銀(てんぽういちぶぎん)」という銀貨の表面(「一分銀」と書かれている面)に、「庄」の文字が刻印されたものを指します。
天保一分銀は、江戸時代の終わり頃である天保8(1837)年~安政元(1854)年に作られた銀貨で、幕末から明治維新の時期にかけて広く流通していました。
庄内一分銀

「一分」とは江戸時代の貨幣単位で、小判一枚=一両の1/4の価値がありました。物価や貨幣制度、社会構造などが異なるため、江戸時代のお金を現在の価値に当てはめるのは難しいのですが、一両は10万円前後の価値があったと考えられます。

庄内一分銀はなぜ作られたのか

いちばんの疑問は、誰がなぜ天保一分銀に「庄」の字を刻んだのかという点ではないでしょうか。

庄内一分銀を作り、使ったのは今の山形県にあった庄内藩です。しかも「庄」の字を刻んだ期間は慶応4(1868)年の旧暦5月中旬から6月中旬(現在の暦では7月上旬から8月上旬)までの1か月間だけ。慶応4年旧暦9月には元号が「明治」と改まっているので、庄内一分銀はまさに幕末の動乱期に庄内藩で使われたことになります。

庄内藩が庄内一分銀を作った背景には、天保一分銀と並んでこの時期に使われていた“もう一つの銀貨”の存在があります。それは「安政一分銀(あんせいいちぶぎん)」です。安政一分銀は安政6(1859)年~明治元(1868)年に作られました。つまり、明治になる直前には、天保一分銀と安政一分銀が流通していたのです。
安政一分銀
▲安政一分銀

天保一分銀と安政一分銀大きさ、重さともにほぼ同じです。細かいデザインの違いはありませんが、パッと見ただけでは見分けがつきません。しかし、ひとつ大きな違いがあります。それは銀の「品位(含有率のこと)」です。天保一分銀が約99.1%の含有量であるのに対し、安政一分銀は約87.3%でした。

庄内藩は、銀の含有率が異なる天保一分銀と安政一分銀が藩内で混同するのを防ぐために「庄」を刻印したといわれています。

幕末期、庄内藩は銀の含有率が高い天保一分銀を藩の蔵に貯めていて、藩内で天保一分銀の流通が減っていました。そこに銀の含有率が低い安政一分銀が流入したことで、藩内の物価は高騰し、経済が混乱したといいます。

藩は物価を安定させるため、蔵に貯めていた天保一分銀を市中に出し、天保一分銀4枚と安政一分銀5枚を同価値としました。この際、藩内の天保一分銀に「庄」を刻印して、区別したのです。刻印は1か月という短期間のうちに、酒田と鶴岡にあった藩の役所で行われました。

当時、銀の含有量が大事な理由

庄内藩が銀貨の質の良し悪し、すなわち含有率の高低を見分けることにこだわったのは、なぜでしょうか。

江戸時代の終わり(19世紀半ば)につくられた天保一分銀や安政一分銀は、貨幣に含まれている銀の含有量に関係なく、4枚で小判1枚分と定められていました。しかし、天保一分銀や安政一分銀がつくられる以前、銀は「丁銀(ちょうぎん)」「豆板銀」といったかたまりがお金として使われ、重さの単位「匁(もんめ、約3.7㎏)」が貨幣単位でした。
丁銀と豆板銀

天保一分銀が登場し、「重さに関係なく一分銀4枚で小判1枚」と幕府が決めたにもかかわらず、庄内藩領内の天保一分銀が少なくなっているところに、銀の含有量で劣る安政一分銀が藩内に流入したことで、物価が高騰しました。
このことは、一分という単位がついているにもかかわらず、銀貨の価値は含まれている銀の重さ、つまり貴金属的な感覚で、人々に認識されていたことを示しています。

庄内一分銀の種類別の買取価格一覧

庄内一分銀は、「Y」マークの刻印位置や「分」「座」の形状によって、4つの種類に分類されます。

種類 特徴 価格
酒田製 裏面右下に「三つ柏
(Yの字のようなマーク)」

要査定

鶴岡製 裏面左下に「三つ柏
(Yの字のようなマーク)」

要査定

跳分 表面「分」の一画目最後が
外に跳ねる

要査定

長柱 表面「座」の
縦棒線が長い

要査定

酒田製

「酒田製」とは、酒田湊(さかたみなと、現在の山形県酒田市にある酒田港)の役所で「庄」や「三つ柏(Yの字のようなマーク)」の刻印が入れられたとされるものです。
三つ柏とは、柏の葉を3つ並べた日本古来の家紋の一種です。裏面の桜花の縁の右下にこの「三つ柏」が入っているものが、酒田製といわれています。
酒田製・庄内一分銀

江戸時代酒田湊は西回り航路の起点として栄えました。酒田湊から日本海、瀬戸内海を経て大坂、さらには江戸へと米や特産物などが運ばれました。

鶴岡製

「鶴岡製」とは、鶴岡(現在の山形県鶴岡市)の役所で「庄」「三つ柏」の刻印が入れられたとされるものです。裏面の王家の縁の左下に「三つ柏」が入っているものが、鶴岡製と言われています。
鶴岡製・庄内一分銀の三つ柏

なお、酒田製・鶴岡製の分類について、史料などによる裏付けはされていません。桜花の縁の右下に「Y」の印字があるものが、左下にあるものよりも多く、当時は鶴岡よりも酒田のほうが賑わっていたことから、数が多い方のタイプが酒田製と推察されています。

跳分

「跳分(はねぶん)」とは、表面の「分」の一画目の最後が外側に跳ねているものを指します。
跳分の庄内一分銀は希少性が高く、査定額がアップする可能性があります。
跳分・庄内一分銀

長柱

「長柱(ちょうちゅう)」とは、裏面の「座」の「土」の縦線が「口」「人」の高さまで伸びているものを指します。
長柱の庄内一分銀もまた希少性が高く、査定額がアップする可能性があります。
長柱・庄内一分銀

跳分と長柱の両方が含まれていると、希少性はさらに高くなり、通常の10倍近くの査定額に跳ね上がる可能性もあります。

さらに価値が上がる!庄内一分銀の特徴と、買取価格

上記で紹介したもの以外にも「エラー古銭」といわれる特徴があれば、庄内一分銀の査定額がさらに上がる可能性があります。

エラー古銭とは?

「エラー古銭」とは、製造時のミスの痕跡がある古銭です。
本来はチェックされてはねられるため、流通することはありませんが、チェックの目を潜り抜けて市中に出回ったと考えられます。エラー古銭は珍しいため、買取価格は高くなります。

ここでは、一分銀に見られるエラーとして「定落」「逆打」「ズレ打」をご紹介します。

定落

通常、一分銀の裏面には「定 銀座 常是」の刻印がありますが、「定」が刻印されていないものを「定落」といいます。
庄内一分銀(天保一分銀)には、定落が少ないといわれています。
定落の詳細

逆打

表面と裏面で上下が逆に刻印されているものを「逆打」といいます。
庄内一分銀(天保一分銀)には、逆打が少ないといわれています。
※写真は天保一分銀です。
逆打の詳細

ズレ打

刻印を入れる位置がずれ、一部欠けている部分があるものを「ズレ打」といいます。
表面・裏面のどちらにも見られるエラーです。鋳型のズレだけでなく、古い貨幣を再利用して作った場合にも起きます。定落や逆打に比べると、レア度は下がります。
ズレ打落の詳細

庄内一分銀の偽物の見分け方

庄内一分銀やそのベースとなる天保一分銀は、偽物が多い貨幣です。正式な貨幣を発行できるのは当然、幕府だけですが、幕末になると各地の藩で偽物の一分銀がつくられました。藩が偽物の一分銀を作った理由は、財政難を補うためです。

庄内一分銀の偽物を見分けるポイントとして、重さ・デザイン・側面・色の4点が挙げられます。なお、庄内一分銀は天保一分銀に「庄」や「Y」を刻印したものなので、幕偽物の見分け方は天保一分銀と共通しています。

重さを計る

庄内一分銀の標準的な重さは約8.6gです。
江戸時代は一つひとつの貨幣の形状や重さを均一に揃える技術がなかったため、少しの個体差はありますが、±0.4g程度に収まります。8g未満、または9g以上のものは偽物を疑う必要があります。
本物の重さ一覧

デザインを見る

庄内一分銀に限らず、一分銀のデザイン的な特徴として、表面の「一分銀」と刻印されている部分の周囲に、細かい縦線が何本も刻まれています。
偽物は縦線がなかったり、線の彫りが浅かったりします。
本物の表面

側面を確認する

庄内一分銀の側面には3つの桜花が刻印されています。
あとで述べますが、安政一分銀や明治一分銀のようなやすりがけの跡はありません。側面に桜花がなかったり、側面の処理が雑な印象を受けたりするものは偽物を疑いましょう。
庄内一分銀の側面

色見を見る

庄内一分銀の銀の含有率は約99.1%と高く、明るい銀色です。銀色というよりも、白に近いものや、真っ黒に黒ずんでいるものは偽物の可能性があります。

なお、年月が経つと、銀は空気中の硫黄と結びついて黒ずむ「硫化」が起きてしまうことがありますが、硫化による変化は「いぶし銀」のような色をしています。

庄内一分銀と似ている種類との見分け方と買取価格

幕末(19世紀半ば)に天保一分銀がつくられて以来、安政一分銀、明治一分銀と江戸時代から明治時代初めにかけて3種類の一分銀がつくられました。また、安政一分銀の中には「玉座一分銀」とよばれるものがあります。

さらに、幕府がつくった正式な一分銀とは別に、幕末に各藩が作った「別座一分銀」とよばれる偽物もあります。

これらは庄内一分銀と形状がよく似ています。それぞれの特徴と見分け方、買取価格を解説します。

天保一分銀

天保一分銀は先に述べたように、庄内一分銀のベースとなる銀貨です。
「庄」や「Y」の刻印以外、特徴は庄内一分銀と当然ながら同じです。
天保一分銀表
天保一分銀裏
  • 製造期間:天保8(1837)年~安政元(1854)年
  • 重さ:8.66g
  • 銀の含有率:99.1%

上記のほか、文字や刻印に以下のような特徴があります。

裏面の「是」の字

裏面の「是」の字は、8画目と9画目が交わる「交叉是」とよばれるタイプです。

天保一分銀 交叉是

側面の桜花の刻印

側面のやすりがけ無し、側面短辺に2個、長辺に3個それぞれ桜花の刻印があります。

天保一分銀の側面

逆桜の位置

一分銀には、縁取るように桜印がデザインされていますが、よく見ると桜印が逆さまになっている箇所があります。
通常の桜印と逆桜の比較

表面・裏面の四辺を囲む桜花の刻印のうち、花の上下が逆になる「逆桜」が刻印桜されている箇所は、表裏それぞれ図のようになっています。
天保 アルファベット位置

天保一分銀は、表面にはP/Q/R/S/Tのいずれか、裏面にはi/m/n/o/p/q/r/s/tのいずれかに逆桜が位置します。また、逆桜の表と裏の位置を組み合わせ、天保一分銀を細かく分類することがあります。

たとえば、表のPと裏のnにそれぞれ逆桜1個ある場合は「Pn型」とよびます。
また、逆桜がまったくないタイプもあり、表をZ、裏をzで表記します。「Zo型」は表に逆桜がなく、裏のoの位置に逆桜があるタイプです。

本日の買取価格
天保一分銀・並品 天保一分銀・美品 天保一分銀・極美品

1,000円~

1,200円~

1,600円~

※表裏の文字の特徴や逆桜の位置によっては、この価格の数倍になることもあります。

安政一分銀

安政一分銀は、天保一分銀の次につくられた銀貨です。安政一分銀を「新一分(しんいちぶ)」、天保一分銀を「古一分(こいちぶ)」と呼んで区別しています。
安政一分銀表
安政一分銀裏
  • 製造期間:安政6(1859)年~明治元(1968)年
  • 重さ:8.63g
  • 銀の含有率:87.3%

安政一分銀は天保一分銀に比べて、銀の含有率が下げられました。その背景には、鎖国をやめて外国と貿易を始めたことで、日本の金(小判)が大量に海外流出したことがあります。

日本の金(小判)・銀交換比率は小判1枚に対し、一分銀4枚ですが、重量比では1:5でした。一方、海外の金銀交換比率は重量比で1:15です。日米修好通商条約で、国内外の貨幣は同種のものを同じ重さで交換すると決められていました。

日本の金銀交換比率が海外よりも良いことを利用し、外国人は海外の銀貨を日本の銀貨に交換し、その銀貨を日本の小判に交換して海外へ持ち出し、海外で日本の小判を海外の銀貨に変えるという方法で、手持ちの銀貨を3倍に増やしていました。
幕府は小判の流出を止めるため、銀の含有量を下げた安政一分銀をつくったのです。

安政一分銀も、文字や刻印などに以下のような特徴が見られます。

裏面の「是」の字

裏面の「是」の字は「交叉是」ではありません。

側面の桜花の刻印

側面はやすりがけをしたのち、短辺・長辺それぞれに桜花の刻印3個があります。

安政一分銀の側面

逆桜の位置

表・裏の四辺を囲む桜花の刻印のうち、逆桜の位置は図のとおりです。

安政 アルファベット位置

表はA/B/C/D/E/F/Gのいずれか、裏はa/b/c/d/e/f/g/のいずれかに逆桜が位置します。分類方法は天保一分銀と同様です。

本日の買取価格
安政一分銀・並品 安政一分銀・美品 安政一分銀・極美品

1,000円~

1,200円~

1,600円~

玉座一分銀

玉座一分銀(たまざいちぶぎん)とは、安政一分銀の中で、裏面の「座」の文字最終画に「玉」がついて盛り上がっているものを指します。
玉座一分銀表
玉座一分銀裏

買取価格は通常の安政一分銀よりも高くなります。

本日の買取価格
玉座一分銀※状態による。

15,000~30,000円

 

玉一(たまいち)と入分(いりぶん)

玉座一分銀には「座」に玉がつく以外にも、表面に2つのいずれかの特徴を持ち合わせています。

  • ①玉一(たまいち):裏面の「一」の最後に玉がつく
  • ②入分(いりぶん):表面の「分」の一画目と二画目が「入」のようなかたちになっている
玉一の詳細
▲①玉一の詳細

玉座一分銀のうち、の特徴をあわせ持つものを「玉一玉座」、の特徴を併せ持つものを「入分玉座」とよんで分類します。玉一玉座と入分玉座で買取価格の差はありません。

明治一分銀

明治一分銀(めいじいちぶぎん)は、新政権を樹立した明治政府がつくった銀貨です。
造幣局ができる明治2年まで、旧幕府の貨幣をつくっていた銀座を使ってつくられていました。江戸幕府が倒れ、元号は明治と改まりましたが、明治政府は貨幣を製造する自前の施設をまだ持っていなかったため、銀座でとりあえず幕末の一分銀と同じ体裁のものをつくらせていたようです。
明治一分銀

見た目の大きさや重さは天保・安政一分銀とほぼ同じですが、銀の含有率は安政一分銀の87.3%からさらに下がりました。

ただし、近年は銀の含有率が90%以上の明治一分銀が多数あることが確認され、研究が進められているそうです。

  • 製造期間:明治元(1868)年~明治2(1869)年
  • 重さ:8.66g
  • 銀の含有率:80.7%

明治一分銀の文字や刻印には、以下のような特徴があります。

裏面の「是」の字

裏面の「是」の字は、8画目と9画目が交わる「交叉是」とよばれるタイプです。

裏面の「常」の字

裏面の「常」の字の一画から三画目が「川」のように並んでいます。このため「明治一分銀」は「川常一分銀(かわつねいちぶぎん)」ともよばれます。

側面の桜花の刻印

側面はやすりがけがされているだけで、桜花の刻印はありません。

逆桜の位置

「逆桜」が刻印されている箇所は、表裏それぞれ図のようになっています。
表はH/I/J/K/M、裏はh/i/j/k/mのいずれかに逆桜が位置します。

明治 アルファベット位置
本日の買取価格
明治一分銀※状態による。

6,000~50,000円

別座一分銀

江戸時代、幕府が発行する正式な貨幣は金座や銀座でつくられていました。天保・安政一分銀を製造していたのは銀座です。

しかし、幕末に各地の藩も隠れて一分銀をつくっていました。藩がつくった偽造一分銀を「別座一分銀(べつざいちぶぎん)」といいます。金座・銀座を「本座」と称したことに対して、各藩の貨幣製造所を「別座」とよびました。
別座一分銀表
別座一分銀裏

幕末から明治の初め、財政難にあえいだ各地の藩が別座一分銀を大量につくったため、天保・安政・明治一分銀は偽造が多いといわれています。

別座一分銀は本物と刻印されている文字がちがったり、色がちがったりするほか、銀の含有量が本物には及びません。含有率は50%以下で、中には10数%しかないものもあります。そのため、買取価格は低くなっています。

本日の買取価格
別座一分銀※状態による。

6,000~50,000円

庄内一分銀を換金するには?

庄内一分銀をお金に換えたい場合、メルカリやヤフオクなどで販売、または買取業者に買い取ってもらうといった方法が考えられます。

メルカリ、ヤフオクで販売する

メルカリは出品者の言い値による販売、ヤフオクはオークション形式による販売です。
ともにインターネット上で誰でも手軽に出品・販売できる点がメリットです。また、欲しい人がいれば相場価格以上で売れる可能性もあります。
メルカリ、ヤフオクで販売する

しかし、古物商の免許を持たない人が庄内一分銀を「本物です」と称して出品しても、なかなか信用してもらえないでしょう。

デメリットは、価格設定を間違えると売れ残ってしまうことです。
取引が成立すると手数料がかかるため、手数料と販売価格(または最低落札価格)のバランスを考えなければなりません。また、商品の発送も出品者が行わなければならず手間がかかります。

買取業者に買い取ってもらう

買取業者に買い取ってもらうメリットは、値段がつけば確実に換金できることです。
メルカリやヤフオクのように「欲しい人がいれば相場以上で売れる」ことは難しいですが、本物と鑑定された庄内一分銀なら確実に買い取ってもらえます。
買取業者に買い取ってもらう

ただし、買取業者の中には相場よりも不当に低い価格で買い取る業者や、古い貨幣の専門家がいない業者もいるので注意が必要です。買取業者に買取を依頼する場合、業者の特徴を調べましょう。

アンティーリンクが高く買い取れる理由

アンティーリンクは古銭の種類・状態ごとに細かく買取価格を設定し、ホームページで表示しています。
買取価格は相場に合わせて公正を期し、「キャンペーン中だけ高値で買い取る」といったことをしていないため、他の買取業者よりも高い価格で庄内一分銀を買い取らせていただきます。

また、買取方法を郵送買取のみとしているため、店舗運営などにかかるコストを抑えていることも、高く買い取りできる理由です。

店舗買取/郵送買取/訪問買取のメリット・デメリット

買取業者の買取方法として、店舗買取・郵送買取・訪問買取の3つが一般的です。各方法のメリット・デメリットは以下のとおりです。

店舗買取のメリット・デメリット

自分で店舗に買い取ってほしいものを持ち込む店舗買取のメリットは、査定後すぐに換金できることです。
また、直接顔を合わせてやりとりするため、査定の様子を確認でき、価格交渉もしやすいです。
店舗買取

一方で、店舗が自宅の近くになかったり、仕事などの都合で営業時間内に訪れられなかったりすると、利用しにくいというデメリットがあります。

郵送買取のメリット・デメリット

郵送買取とは、買い取ってほしいものを段ボールなどに詰めて買取業者に送る方法です。
メリットは、時間や住んでいる場所に関係なく、自分の都合に合わせて荷物を送ることができる点です。買い取ってほしいものがたくさんある場合、郵送買取はとても便利です。
郵送買取

デメリットは、店舗買取に比べて換金までに時間がかかることです。
荷物を送って査定してもらい、メールなどで送ってもらった査定内容を承認してから、銀行口座にお金が振り込まれます。

訪問買取のメリット・デメリット

訪問買取は鑑定スタッフを自宅に呼んで査定・買取してもらう方法です。
店舗を訪れる手間も、郵送する手間も省けるうえ、対面で査定をしてくれてその場で換金してくれる点がメリットです。
訪問買取

ただし、鑑定スタッフを自宅に入れる必要がある点がデメリットに感じる人もいるでしょう。

郵送買取は、アンティーリンクへお任せください!

アンティーリンクは店舗を持たず、郵送買取に特化しています。
お手持ちの庄内一分銀を売りたいとお考えの場合、弊社ホームページで買取価格をご確認いただき、まずはLINEを使った無料の簡易査定をご活用ください。

簡易査定で納得いただきましたら、庄内一分銀をお送りください。最短で当日、最長でも3営業日内で査定を完了し、結果をLINEやメールなどでお送りします。
査定結果をご了承いただきましたら、2営業日以内にご指定の銀行口座に入金いたします。なお、査定額にご納得いただけない場合の返送料は弊社で負担します。

庄内一分銀に関するよくあるお問い合わせ

ここでは、庄内一分銀に関するお問い合わせについてお答えします。

庄内一分銀はこれから価値が高くなりますか?

天保一分銀に「庄」の字が刻印された庄内一分銀は、幕府が発行した天保一分銀全体のうち2%程度とされ、普通の天保一分銀よりも3~5倍の価格がついています。
その希少性から、状態の良いものは今後も価値が上がると考えられます。

ボロボロの庄内一分銀でも買い取ってくれますか?

状態がよくない庄内一分銀でも買い取りはさせていただきます。
ただし、ホームページで公表している買取金額よりも下がる可能性があります。