元文一分金の価値とは?その他一分金・元文金銀もまとめてご紹介!
元文一分金は、買取価格は数10万円を超える高値になることも!
種類によっても価値は変わるので、見分け方など詳しく解説します。
目次
元文一分金とは
使っていた時代、当時の価値
元文一分金は、江戸時代の元文元(1736)年から元(1818)年にかけて作られ、使われた長方形の金貨です。
表面には2つの桐の紋が上下に並び、上の桐紋は扇形の枠に囲まれており、桐紋の間には「一分」の文字が配されています。裏面には「光次」の文字と花押(サインのようなもの)が刻まれています。
「光次」は、江戸時代を通じて江戸幕府から貨幣づくりを命じられた後藤庄三郎家を示す印です。ご当家の初代が庄三郎光次だったことから「光次」の文字が使われました。
また、裏面の右上に真書体(楷書体)で「文」の文字が刻まれていることから、「真文一分」ともよばれています。「文」は時代印とよばれるもので、元号である「元文」の「文」を表しています。
ところで、江戸時代には小判や、一分金、一分銀などの貨幣が使われていましたが、小判1枚は一両、一分金1枚は一分の価値があり、一分金4枚で一両とされました。
一分金4枚で一両ですから、一分金1枚でおよそ100杯のおそばが食べられるということを考えると、現在の4万円前後の価値ということになります。
サイズ、重さ、品位
元文一分金のサイズや重さ、品位(貨幣に含まれる金銀の割合)は以下のとおりです。
- サイズ:約16mm×10mm
- 重さ:約3.25g
- 品位:金65.3%、銀34.7%
江戸時代の小判や一分金は、そのときどきの財政状況に応じて、貨幣の品位や重さを変えて新しい貨幣をつくる「改鋳(かいちゅう)」が行われました。あとで触れますが、江戸時代を通じて8回の改鋳が行われています。
元文元年(1736)に行われた改鋳では、元文一分金は重さ・品位ともにひとつ前の一分金よりも品質が落ちています。享保一分金の重さは4.40g、品位は金86.1%銀13.9%でした。
元文は8代将軍徳川吉宗の時代に使われた元号です。元文の改鋳が行われた背景には、世の中に出回る金貨・銀貨の不足がありました。そこで貨幣供給量を増やすために、重さ・品位ともに落とした貨幣を発行したのです。元文の改鋳では元文小判や元文一分金が発行されたほか、銀貨も改鋳が行われました。
幕府は新しい貨幣を流通させる際、人々に古い貨幣を両替商へ持って行かせ、新しい貨幣と交換させて古い貨幣を回収しました。その際、新しい貨幣に「増歩(ましぶ)」というプレミアムをつけて、新しい貨幣の使用を促しています。幕府は金貨の流通量を増やしつつ、古い金貨を回収して手元の金を増やし、幕府の財政を安定させようとしました。
金貨は1両・1分といった単位がついていて、本来は現在の貨幣と同様に素材によって価値が変わらないはず(このような貨幣を「計数貨幣」といいます)なのですが、江戸時代の金貨は、実質的には含まれている金の割合によって価値が変わる「秤量貨幣」とみなされていました。
元文の改鋳が行われた直後、価値の低い金貨が出回ったために米の価格は一時的に値上がりしましたが、その後は米価1石=1両で安定しました。
元文の改鋳以後、約80年間改鋳は行われませんでした。
元文一分金の買取価格一覧
元文一分金にはいくつかのバリエーションがあり、買取価格が異なります。
元文一分判金 |
極美品:11,000円 |
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元文一分判金(無刻印) |
美品:24,000円 |
元文一分判金(逆打) |
美品:90,000円 |
元文一分判金(両面裏写りエラー) |
美品:110,000円 |
それぞれのバリエーションについて、詳しく解説していきましょう。
元文一分判金
元文一分金は「元文一分」ともよばれています。「一分判」が公的名称だったようです。元文一分判金が使われた期間は約80年間と長く、多くの量が流通しました。そのため、極印がこすれてはっきり見えなくなっているものも多く、極印の状態に応じて査定額が変わります。
元文一分判金 |
極美品:11,000円 |
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元文一分判金(無刻印)
元文一分判金をよく見ると、小さな刻印がいくつも見つかることがあります。これは両替商が本物であることを証明するために打った刻印です。長期間流通した元文一分判金は、両替商による刻印が入っているものが多いのですが、中には刻印がないものもあり、「無刻印」として区別しています。
無刻印の元文一分判金は刻印入りのものに比べて希少価値が高く、刻印入りのものよりも高くなります。
元文一分判金(無刻印) |
美品:24,000円 |
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元文一分判金(逆打)
逆打は極印を入れるときのミスで生まれるため、希少性が高いです。
元文一分判金(逆打) |
美品:90,000円 |
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元文一分判金(両面裏写りエラー)
「裏写りエラー」とは、表または裏面に他方の面の極印が写りこんでしまうエラーです。表裏の両面で裏写りエラーが起きているものを「両面裏写りエラー」とよんでいます。
両面裏写りエラーのある元文一分判金が流通するケースは、逆打よりもさらにレアと思われ、とても希少性が高くなります。
元文一分判金(逆打) |
美品:110,000円 |
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一分金で、エラーが発生する理由
逆打や両面裏写りエラーは、製造するなかで生まれたエラーです。
江戸時代、小判や一分金は棒状の金を叩いて延ばし、一つひとつ形を整えてました。その後、さまざまな極印を一つひとつ付けましたが、裏と表で上下が逆になったり、型で極印を押す際に力加減が強すぎて裏に写ってしまったりといったことが起きたのでしょう。
こうしたエラーのお金は、普通ならチェックされた時点ではねられますが、チェックをすり抜けて市中に出てしまったと考えられます。
元文一分金の偽物の見分け方
元文一分金の偽物を見分けるには、重さやデザイン、色などから総合的に判断します。
重さ
元文一分金の標準的な重さは3.25gとされています。ただし、江戸時代に一つひとつの金貨の重さを厳密に揃える技術はなかったため、実際には誤差が生まれます。
近年では、研究者が11枚の元文一分金の重さを量ったところ、その誤差はわずか0.03gしかなかったとのことなので、それ以上の誤差があるものは偽物を疑ったほうがよいかもしれません。
デザイン
極印の状態を細かく見ると、本物と偽物では違う点があります。
一方、偽物は線の太さが一定で、本物と比べて細くなっています。また、偽物の極印は本物に比べて文字や模様がはっきりせず、つぶれているところがあります。
金特有の色見をしているか
また、金メッキの場合には、表面がけずれると内側の素材が見えてしまうので、すぐに本物かどうかの判別をつけることができます。
その他の元文金銀
元文元年の改鋳が行われたとき、元文一分金とともに新たに作られた貨幣として、小判や丁銀、豆板銀があります。それぞれの貨幣について、くわしく解説します。
小判
元文小判は、ひとつ前の享保小判よりもサイズ・重さ・品位ともに下げた小判です。
2つの小判の標準的なサイズや重さ、品位を比較すると、次のようになります。金の割合が20%以上減っていることがわかります。
元文小判 | 享保小判 | |
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サイズ | 約65mm×35mm | 約70mm×37mm |
重さ | 13.00g | 17.78g |
品位 | 金65.3% 銀34.75% | 金86.1% 銀13.9% |
裏面には、中央に「光次の花押」、右上に元文を表す「文」の極印が入っています。「文」の字が真書体(楷書体)で書かれていることから「真文小判」ともよばれます。
また、裏面の左下には、職人の棟梁や金座人(金座で働く町人)の小さな印が入っています。これは小判の品質検査をしたときに押されたもので「印験極印(いんけんごくいん)」とよばれるものです。「大」「吉」や「久」「長」などの組み合わせは、江戸時代の人々から縁起が良いとされていたようです。
改鋳で古い貨幣と新しい貨幣を交換する際、幕府は価値が下がる新しい貨幣にプレミアムをつける「増歩」を行ったと先に述べましたが、享保小判100枚は元文小判165枚と交換できました。つまり、65%の増歩がつけられていたことになります。
こうして、元文小判は世の中に広く流通するようになります。小判の補助的な役割を果たした元文一分金も、同様に享保一分金と交換され、広まっていったのでしょう。
また、金の重さで考えると、享保小判100枚分の金の重さは約1529gであるのに対し、元文小判165枚分の金の重さは約1400gなので、幕府は金129g得することになります。
得をした分は幕府の財源となりました。
元文小判 |
135,000~150,000円 |
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享保小判 |
320,000円~380,000円 |
丁銀
江戸時代は金貨だけでなく、銀貨や銅貨も使われました。銀貨には丁銀と豆板銀があり、「銀座」でつくられました。
江戸は金、上方(京・大坂)は銀が貨幣として使われ、互いに両替商で両替されていました。丁銀は細長い形状をしており、品位は決められていますが厳密なサイズや重さは決まっていません。
銀は素材の重さがそのまま価値になる秤量貨幣だったため、丁銀で買い物をするときは「この品物は銀100匁(もんめ)=375g」といった具合です。店の人は秤で丁銀を量って代金を受け取り、重さを合わせるために丁銀は切って使われました。
元文丁銀は元文小判や元文一分金と同じく、元文元(1736)年から文政元(1818)年まで製造され、ひとつ前の享保丁銀よりも品位が落とされました。享保丁銀の品位が銀80%であったのに対し、元文丁銀は銀46%です。元文丁銀の表面には、「文」や『「常是(じょうぜ)」と大黒像』または『「常是」と「寶(宝の旧字)」』の極印が刻まれています。「文」は元文の元号を表す時代印、「常是」は銀座で代々銀貨づくりにあたっていた家の当主が名乗った「大黒常是」を示し、大黒像も大黒常是にちなんでいます。
「文」の字が入っていることから、元文丁銀は「文字(ぶんじ)丁銀」ともよばれています。また、元文の改鋳のあと、文政3(1820)年に行われた「文政の改鋳」のときにつくられた文政丁銀にも「文」の極印が刻印されているため、文政丁銀と区別して「小文字丁銀」「真文字丁銀」ともよばれています。
元文丁銀には複数の『「常是」と大黒像』または『「常是」と「寶」』の極印が刻印されており、いくつかのパターンがあります。特に、「文」の時代印と12個の大黒像を刻印した「12面大黒丁銀」は、祝儀用や幕府への上納用として特別に作られたもので、希少価値が高いものです。
元文丁銀 |
15,000~30,000円 |
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豆板銀
豆板銀とは、丁銀よりも使い勝手のよさを考えてつくられた小型の銀貨です。少額の買い物をするときなどに、丁銀を切り離すのは手間がかかることから、豆板銀が作られました。
品位は丁銀と同程度となっており、元文豆板銀の品位も銀46%です。大きさは直径2㎝程度となっています。
元文豆板銀 |
500~2,000円 |
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一分金、一分銀、二分金の違い
江戸時代の貨幣の基準は一両小判ですが、補助的な役割をする貨幣として「一分金」「一分銀」「二分金」がありました。
ここでは、これらの貨幣の違いについてくわしく解説します。
一分金
慶長6(1601)年、江戸幕府が貨幣を始めてつくったときから、最後に貨幣を発行した万延元(1860)年~慶応3(1867)年まで、一分金は小判とセットでつくられています。
▲慶長一分金
江戸時代の初めにつくられ始めた慶長一分金の金品位は85.7%でしたが、幕末につくられた万延一分金の金品位は57.6%にまで減りました。
一分銀
幕末の天保8(1837)年に初めて一分銀がつくられ、明治の初めにかけて「天保一分銀」と「安政一分銀」がつくられました。2つの一分銀を区別して、天保一分銀は「古一分」、安政一分銀は「新一分」とよばれています。
▲天保一分銀
一分銀がつくられるようになった背景には、秤量貨幣である丁銀や豆板銀が不便であったため、銀貨も金貨のように、貨幣に記された額面が価値を表す計数貨幣にしようとしたことがあります(金貨も実質的には、完全には計数貨幣として機能していませんでしたが……)。
天保一分銀、安政一分銀ともに形状は長方形で、表に「一分銀」、裏に「定 銀座 常是」、表裏とも文字を囲むように桜の花が20個刻まれています。2つの一分銀の違いは以下のとおりです。
天保一分銀(古一分) | 安政一分銀(新一分) | |
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鋳造時期 | 天保8(1837)年~ 安政元(1854)年 |
安政6(1859)年~ 明治元(1868)年 |
サイズ | 約23mm×16mm | 約23mm×15mm |
重さ | 約8.66g | 約8.63g |
品位 | 銀99.1% その他0.09% |
銀87.3% その他12.7g |
二つの一分銀はデザインやサイズ、重さがほとんど同じです。見分けるには、字の細かな違いや桜の花の形を目安にします。
天保一分銀 |
1,000~1,600円 |
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安政一分銀 |
1,000~1,600円 |
二分金
デザインは一分金と似ていて、2つの桐紋の間には「二分」と刻まれています。江戸時代後期の文政元(1818)年から明治2(1869)年までつくられました。
▲文政二分金
文政二分金 (真文二分) |
文政二分金 (草文二分) |
安政二分金 | 万延二分金 | 明治二分金 | |
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鋳造時期 | 文政元(1818)年~ 文政11(1828)年 |
文政11(1828)年~ 天保3(1832)年 |
安政3(1856)年~ 万延元(1860)年 |
万延元(1860)年~ 明治初期 |
明治元(1868)~ 明治2(1869)年 |
サイズ | 約24mm ×13mm |
約23mm ×13mm |
約22mm ×13mm |
約17mm ×11mm |
約18mm ×11mm |
重さ | 約6.52g | 約6.56g | 約5.62g | 約3.00g | 約3.00g |
品位 | 金56.3% 銀43.7% |
金49.0% 銀51.0% |
金20.9% 銀79.1% |
金22.9% 銀77.1% |
金22.3% 銀77.7% |
文政二分金は、裏面の「文」の文字が真文体(楷書体)か草書体かによって、「真文二分」「草文二分」と区別します。
その他の一分金の種類と見分け方
江戸時代につくられた一分金には、元文一分金以外に11種類があります。それぞれの見分け方について解説します。
額一分判金(大阪一分)
豊臣秀吉が関わったといわれることから「大阪一分」とよばれていますが、実際には関係性は薄いとも考えられています。
短冊の形をしていて表面に「壱分」の文字、裏面には「光次」の文字と花押が刻まれており、慶長一分金と共通点があります。
- サイズ:約18mm×11mm
- 重さ:約4.39g
- 品位:不明(金84.3%程度か)
慶長一分判金(慶長一分金)
慶長6年は徳川家康が関ヶ原の戦いで豊臣家に勝利した翌年、江戸幕府を開く前年にあたります。家康は諸国共通の貨幣制度を整備するために、慶長小判や慶長一分金などをつくりました。
慶長一分金のデザインは、扇枠に囲まれた桐紋と枠のない桐紋の組み合わせや「光次」、花押など、その後の一分金に受け継がれる要素を備えています。裏面右上に時代印はありません。
また、慶長一分判金には「光次」の文字の右上、あるいは左上と右上の両方に「本」の極印が刻まれたものがあります。これは、長い間使われている間に破損したり、削れたりしたものを金座で修理したことを示しています。
- サイズ:約16mm×10mm
- 重さ:約4.43g
- 品位:金85.7% 銀14.3%
慶長一分判金(慶長一分金) |
70,000~500,000円 |
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元禄一分判金(元禄一分金)
5代将軍綱吉の時代だった元禄8年、長年使われてきた金貨・銀貨の極印が不鮮明になったことや、金貨・銀貨が不足してきたことを理由に、幕府は古い貨幣を回収して新しく品位を落とした貨幣を発行することを決めました。
元禄一分判金のサイズ・重さは慶長一分判金と変わりませんが、品位は大幅に落とされました。
裏面の右上に「元」という時代印が刻まれているのが特徴です。「元」は、最後のハネが長いものと短いものがあります。
- サイズ:約16mm×11mm
- 重さ:約4.46g
- 品位:金56.4% 銀43.6%
元禄一分判金(元禄一分金) |
110,000円 |
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宝永一分判金(宝永一分金)
この一分判金がつくられた理由について、幕府は「元禄小判や一分判金などの金貨は品位が低いため、破損しやすい」としています。その結果、宝永小判・一分判金の品位は慶長小判・一分判金の水準に戻されましたが、重さは半分程度になっています。
裏面の右上に「乾」という時代印が刻まれていることが特徴で、宝永一分判金は別名「乾字一分判」ともよばれています。
- サイズ:約15mm×10mm
- 重さ:2.33g
- 品位:金83.4% 銀16.6%
宝永一分判金(宝永一分金) |
70,000円 |
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正徳一分判金(正徳一分金)
元禄・宝永と改鋳を行った結果、物価が上がり続けていたため、金貨の品位を上げて物価を下げることがこの金貨をつくった目的です。
また、このころ政治の実権の握っていた新井白石が家康の時代につくられた慶長の金貨を理想としたため、正徳一分判金は品位、重さともに慶長一分判金と同じになりました。
正徳一分判金は慶長一分判金と見た目が似ていますが、「光次」の「光」の6画目と「次」の4画目が重なって見える点が特徴です。
- サイズ:約18mm×11mm
- 重さ:4.43g
- 品位:金85.7% 銀14.3%
正徳一分判金(正徳一分金) |
00,000円 |
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享保一分判金(享保一分金)
正徳小判・一分判金をつくった翌年に享保小判・一分判金をつくった理由は、「慶長小判・一分判金の中でも、後半につくられたものは金の品位が86%あり、それに合わせるため」だったとのことです。
実は正徳小判・一分判金の品位は、前半につくられた慶長小判・一分判金の品位に合わせてつくられていました。
正徳一分判金と違い、「光」と「次」の字が離れている点が特徴です。
- サイズ:約17mm×11mm
- 重さ:4.40g
- 品位:金86.1% 銀13.9%
享保一分判金(享保一分金) |
30,000円 |
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佐渡一分判金(佐渡一分金)
江戸時代、金座は江戸の他に京、佐渡、駿府に置かれ、佐渡一分判金は佐渡の金座で作られたものと考えられています。
佐渡一分判金は正徳4(1714)年の1年間だけつくられたもので、製造量・流通量ともに少なく、希少性が高いとされています。
- サイズ:約16mm×10mm
- 重さ:4.43g
- 品位:金86.1% 銀13.9%
佐渡一分判金(佐渡一分金) |
00,000円 |
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文政一分判金(文政一分金)
この頃、幕府は大奥の出費増などが原因で財政難にあえぎ、品位の低い新金貨をつくって品位の高い旧金貨と交換・回収することで、財源を得ようとしました。そのためか、文政一分判金の品位は江戸時代の一分判金を通じて最低です。
裏面の右上に時代印である「文」が草書体で刻まれているため、「草文一分」ともよばれていて、楷書で時代印の「文」が刻まれている元文一分判金と区別しています。
- サイズ:約17mm×10mm
- 重さ:3.27g
- 品位:金56.0% 銀44.0%
文政一分判金(文政一分金) |
11,000円 |
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天保一分判金(天保一分金)
文政小判・一分金の品位が低いものだったため、改善するというのが天保小判・一分金をつくる目的でしたが、実際はさほど変わらないものでした。
そればかりか、重さが軽量化されたことから、幕府は旧金貨と新金貨の差益を得ることになります。この頃、天保の大飢饉などが原因で財政難に直面していました。
天保一分判金は、裏面の右上に時代印の「保」が刻まれている点が特徴です。このことから別名「保字一分」ともよばれています。
- サイズ:約16mm×11mm
- 重さ:2.8g
- 品位:金56.8% 銀43.2%
天保一分判金(天保一分金) |
15,000円 |
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安政一分金(安政一分判金)
安政元(1854)年、日本は開国しましたが、金と銀の交換比率が海外よりも日本のほうが良いことを利用し、外国人が銀貨を日本の小判に交換して大量の小判が海外へ流出しました。
幕府は小判の流出を止めるため、小判と一分判金を改鋳し、品位は保ったまま軽量化しました。安政小判・一分判金は1年間しかつくられず、流通量も少ないことから希少性が高くなっています。
安政一分判金は、裏面の右上に時代印である「正」の字が刻まれていることから「正字一分」ともよばれています。また、表面の「一分」の「分」の文字には、2画目を払う「ハネ分」と止める「トメ分」の2パターンがあります。
- サイズ:約17mm×10mm
- 重さ:2.24g
- 品位:金57.0% 銀43.0%
安政一分金(安政一分判金) |
170,000円~180,000円 |
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万延一分金(万延一分判金)
安政一分判金同様、小判・一分判金の海外流出を防ぐためにつくられ、品位は保っていますが安政一分判金よりも大幅にサイズも重量も小さくなりました。
万延一分金は他の江戸時代の一分判金よりも小さく、軽いために見分けがつきやすいです。
安政一分判金と同じく、「分」の文字は「ハネ分」と「トメ文」の2パターンがあります。
- サイズ:約13mm×6.5mm
- 重さ:0.82g
- 品位:金57.4% 銀42.6%
万延一分金(万延一分判金) |
70,000円 |
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元文一分金を現金化する方法
お家から元文一分金が出てきて現金にしたいと思ったとき、どのような方法で換金すればよいのでしょうか。
換金方法としてよく利用されている方法をご紹介します。
メルカリ、ヤフオクで販売する
メルカリはフリーマーケット方式なので、出品者が値段をつけて販売します。ヤフオクはオークション方式なので、出品者が開始価格を決め、いちばん高値を付けた落札希望者が購入します。
メルカリやヤフオクは会員登録をすれば誰でも商品を出品できますが、市場とかけ離れた価格設定をすると購入者がなかなか現れません。
また、画像や文章を自分で作成する必要があり、購入者が現れたあとの発送作業なども手間がかかります。さらに、商品が購入・落札されると手数料を支払わなければなりません。
ただし、古物商の免許を持たない人が元文一分金などの古銭を出品しても、購入者に信用してもらえない可能性が高いでしょう。
買取業者に買い取ってもらう
買取価格はその店で売られる価格よりも安くなりますが、確実に現金化できます。
注意点は、買取業者によって買取価格が異なることです。複数業者から見積りを取り、より高い業者に買い取ってもらうようにしましょう。
アンティーリンクが高く買い取れる理由
アンティーリンクなら、元文一分金を他店よりも高く買い取ることができます。その理由は次の2つです。
①郵送買取専門店だから
郵送買取専門店なので、店舗運営に必要な賃料や人件費がかかりません。コストを抑えているぶん、高い価格で買い取らせていただきます。
②買取一覧表を公表しているから
ホームページ上で古銭の種類ごとに買取価格を公表しているため、お客様に比較検討していただき、納得していただいたうえで買取を行っています。
元文一分金の買取は、アンティーリンクへお任せください!
江戸時代の元文元(1736)年から文政元(1818)年までつくられ、使われた元文一分金は、現在のお金に換算すると1万円前後の価値があります。
もしも、お家に元文一分金があれば、ぜひアンティーリンクに買取をお任せください。
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