正徳小判金を作った人は誰?いつ、なぜ、どんなねらいで?

正徳小判を作った人は誰? 元禄小判との違いをわかりやすく解説

本記事では、なぜ正徳小判金しょうとくこばんきんを発行したのか、その背景と目的、そして改革の結果までをわかりやすく解説します。

✅結論:正徳小判金をつくったのは新井白石(あらいはくせき)

正徳小判金は、1714年(正徳4年)に行われた貨幣制度改革「正徳の改鋳」によって生まれた金貨です。
この改革を主導したのが、江戸幕府の側用人であり、儒学者としても名高い新井白石あらいはくせきでした。

彼が行った一連の政治改革は「正徳の治しょうとくのち」と呼ばれ、経済・財政・外交など多岐にわたる施策が実施されました。
その中心のひとつが、貨幣の信頼性を取り戻すための良貨復帰政策、すなわち正徳小判金の発行です。

新井白石という人物

写真:Wikipedia

新井白石あらいはくせき(1657〜1725)は、江戸時代中期に活躍した儒学者・政治家です。
相模国出身で、6代将軍徳川家宣、続く家継に仕え、幕政に深く関与しました。
特に家宣時代の改革は「正徳の治」と呼ばれ、政治・経済・外交にわたる幅広い施策が行われました。

また朱子学を基盤とした文治政治を推進し、自身も学問・執筆に優れ、『折たく柴の記』『西洋紀聞』などの著作を残しました。
理想主義的な政策が商人層の反発や経済停滞を招いたことで、白石は後に失脚しますが、その思想と誠実な政治姿勢は、今なお高く評価されています。

📌 理由:混乱する貨幣経済を「良貨」で立て直すため

元禄金・宝永金による混乱

正徳小判発行以前、幕府は財政難を補うため、以下のように貨幣の品位を大幅に下げていました。

小判名 特徴 影響
元禄小判金 金の含有量を大幅に削減 通貨の価値下落、物価高騰(インフレ)
宝永小判金 一見品位が上がったが、実際の金量はさらに減少 慶長小判金比で約半分の金量
貨幣不信が拡大

このような「悪貨の濫発」によって、庶民の生活は圧迫され、米や灯油といった必需品の価格はわずか数年で1.5〜2倍に跳ね上がる事態となっていました。

新井白石の経済思想

  • 貨幣はその「名目」より「品位(=含有金銀量)」が重要である
  • 貨幣の信用が国家経済の基盤である
  • 良貨(慶長小判金のような高品位貨幣)こそ信頼を回復する手段である

新井白石は、貨幣経済の混乱は「貨幣の質の劣化」が原因だと明確に認識しており、「質の良い貨幣を復活させることで経済を立て直す」という思想に基づいて、改革を断行しました。

📚 例(実例):正徳小判金の内容と背景

正徳小判金の概要

正徳小判金の概要
項目 内容
発行年 1714年(正徳4年)
主導者 新井白石
政策名 正徳の改鋳
鋳造機関 金座(後藤庄三郎家)
品位 慶長小判金と同等の品位

政策の目的

  • 元禄・宝永期の「悪貨」を市場から排除
  • 貨幣品位を慶長金水準に戻すことで、通貨への信頼回復
  • インフレ抑制と物価安定

小判の品位の推移


当時の人々には「慶長小判金と同位の品質」と認識されていましたが、後世の研究ではやや品位が劣っていたことが確認されています。

🔄 結果:理想と現実のギャップが生んだ副作用

政策の影響

政策の影響
効果・反応 内容
信用回復 貨幣の信頼は一定程度回復し、幕府の信用も向上
デフレ発生 良貨によって通貨価値が上昇し、物価が下落。売上減・流通停滞へ
庶民・商人の不満 庶民には一時的に生活安定も、商人にとっては大打撃
政治的評価 理想主義的で経済実態にそぐわず、白石の失脚原因の一つに

🧭 まとめ:「正徳の治」の象徴であり、転換点でもあった

  • 正徳小判金は、新井白石が主導した「正徳の治しょうとくのち」の中核政策
  • 通貨の信頼性回復と秩序の再建を目的とした「良貨復帰」の試み
  • 品位重視の改革は一定の成果をあげたが、経済全体では停滞・不満も招いた
  • 白石の政策は後に発行される享保小判金に引き継がれるも、本人は失脚

正徳小判金発行の要点まとめ

正徳小判金発行の要点まとめ
項目 内容
改革時期 1714年(正徳4年)
主導者 新井白石
内容 金銀貨の品位を引き上げ、良貨を復活
結果 信用回復・物価下落・経済停滞
評価 思想的には画期的だが、経済的には失敗と見なされることも