天保五両判金「愛知県名古屋市のお客様から」

五両判は、天保8年(1837年)7月の「天保の幣制改革」で新たに作られた金貨です。しかし、その後の幣制改革で再び発行されることはありませんでした。

この五両判は、大判とは異なり、額面通りの5両で流通する正式な通貨でした。ただし、その金の純度(品位)は84.29%で、慶長大判や享保大判のような高純度の金貨には及びませんでした。それにも関わらず、実際の純金量では天保小判の4.45倍、つまり4両2分弱の価値しかありませんでした。

そのため、五両判は小判のように額面と同等の純金を含む「本位金貨」ではなく、二分金と同じように額面で強制的に流通させた「定位金貨」でした。