日清戦争軍票とは?その価値と希少性について解説

日清戦争軍票とは?その価値と希少性について解説

西南戦争から戦後まで数十種類が発行された軍票ですが、その中でも群を抜いて希少価値が高いのが日清戦争軍票です。

現存数はわずか数枚で、市場に出回れば数百万円以上の価値がつくとも言われています。

また、額面によっては現存が確認されていないために博物館へ贈られるほどの歴史的な発見になる可能性も考えられるほどのプレミア品です。

日清戦争軍票とは

日清戦争軍票とは

日清戦争軍票は日清戦争末期の1895年からわずか2か月間のみ発行された軍票です。

5種類の額面を清の通貨単位で発行された日清戦争軍票は、日本政府・軍が初めて正式に発行した軍票とも言われています。

日清戦争自体が1894年7月に勃発してから翌年1895年2月に清が降伏するまでのわずか8ヶ月のみと思ったよりも早く戦争を終えました。

そのため、軍票もあまり出回らずほとんどが終戦後に軍に回収されたため現存数が少ないプレミア品となっています。

日清戦争が思ったよりも早く終わった理由

朝鮮の支配権を巡って勃発した日清戦争は、日本の圧倒的な連勝でわずか8か月で終結しました。

日清戦争の開戦前は、国の規模からしても当時「眠れる獅子」とも称された清の勝利が予想されていたのですが、結果は惨敗。

その理由としては、近代化が進んだ日本軍の優れた武器や軍艦と日本軍の士気の高さにあったと言われています。

清の世論は「日本と戦争をすべきか否か」で分裂していたのに対し、日本は「打倒清」で一致していました。

世論が分裂していた清は有力な指揮官が複数いたために統率もとれず、装備も士気も差があったために一枚岩の日本には適わなかったのです。

結果として日本は短期間で連勝を重ね、日本に有利な条件の「下関条約」を結んで戦争を終えました。

日清戦争が日本にもたらした影響

この戦争で勝利した日本は、これを足がかりに大陸進出を目論み、アジアの強国としての一歩を歩み始めます。

日本は下関条約によって賠償金2億2500万円と台湾とその周辺諸島、清の一部遼東半島(りょうとんはんとう)を手に入れました。

しかし、そこにロシア、ドイツ、フランスによる待ったがかかります

そのため、清の一部であった遼東半島を返還し、代わりに賠償金が総額3億6450万円に増額されました。

この賠償金は大半が軍事費に充当されましたが、この賠償金で日本は大きく近代化に近づきます

この賠償金で日本は八幡製鉄所の建設を進め第一次産業革命を開始し、海外に資源や市場を求める帝国主義へと転じることになるのです。

さらに下関条約で手にした台湾に総督府を置き、砂糖生産などの産業育成が図られました。

日清戦争軍票の種類と価値

日清戦争軍票は2銭5分、5銭、1両、5両、10両の5種類が発行されていましたが、現存しているものは1両札が数枚程度です。

日清戦争は想定よりも早く終戦したために発行枚数がかなり少なく、そのほとんどが軍によって回収されました。

そのため現存数が極端に少なく、確認されているのは1両札が数枚程度で、他の額面のものは現存していないとさえ言われています。

現存が確認されている1両札も取引の記録はないため、市場に出回ればその価値は青天井になることでしょう。

また、現存が確認されていない他の額面の日清戦争軍票に関しては、現存が確認できた時点で歴史的な発見となり、博物館行きになるのは間違いありません。