大東亜戦争(太平洋戦争)の軍票にはどんなものがある?その価値についても解説

戦争中の代用紙幣として発行されていた数々の軍用手票は、多くが敗戦後紙くず同然となってしまいましたが、歴史的価値のあるものとしてコレクターの中では人気のあるものが多数あります。

中でも1941年に開戦された太平洋(大東亜)戦争の際に5つの地域で50種類以上の軍票が発行され、日本が多くの占領地を有していたことが読み取れます。

大東亜戦争軍票とは?

その名の通り、大東亜戦争の時に代用紙幣として発行されていた軍用手票のことです。

大東亜戦争は1941年から1945年にかけて中国から南下して領地を拡大したい日本とアメリカ(連合軍)の間で起こった戦争で、教科書などでは一般的に太平洋戦争と呼ばれています。

1941年12月に真珠湾での攻撃でアメリカ・イギリスに宣戦布告したことをきっかけに開戦しました。

この戦争中に5つの地域で発行されていたのが大東亜戦争軍票で、それぞれの地域に合わせた図柄や通貨単位が使用されています。

大東亜戦争の大まかな流れ

大東亜戦争は1939年開戦の第二次世界大戦の一部で、大義名分としては「アジアの欧米植民地の解放と大東亜共栄圏を設立してアジアの自立を目指す」というものでした。

日本は1941年に英領マレー半島への上陸作戦と真珠湾での米軍への攻撃を皮切りに昭和天皇がアメリカ・イギリスへ宣戦布告を行います。

本来は攻撃の前に宣戦布告をするものですが、攻撃の30分前に宣戦布告が決まったことに加えて駐米大使が手続きにもたついたことで宣戦布告が行われたのは攻撃の40分後。

これにアメリカが激怒し、日本史上最悪の戦争突入を加速させました。

最初は日本の快進撃で快勝を重ねていたものの、1942年のミッドウェー海戦以降防戦一方となり、次第に劣勢となります。
最終的には1945年8月にアメリカによる広島・長崎への原爆投下を受け、ポツダム宣言を受諾して無条件降伏をしました。

年表
1941年 12月 真珠湾攻撃をきっかけに太平洋戦争勃発
1942年 ~5月 日本は快進撃を続け東南アジア一帯を支配下に置く
膨大な支配地を「大東亜共栄圏」と称して防衛ラインを築く
6月 ミッドウェー海戦に敗北
1943年 9月 防衛ラインを縮小
11月 大東亜会議を開催し「大東亜共同宣言」発表
10月 フィリピン海上戦(レイテ沖海戦)大敗
※神風特攻隊が実戦投入された
フィリピンがアメリカに奪われる
1945年 2月 アメリカ・イギリス・ソ連のヤルタ会談
ドイツ降伏後にソ連が日本に進行してくることが決まる
3月 硫黄島の戦いで日本敗北
4月 沖縄での地上戦が始まる
7月 日本に降伏を求めるポツダム宣言が提出される
→日本はこれを黙殺
8月 日本のポツダム宣言黙殺を拒否と捉えたアメリカが原爆投下
→日本の無条件降伏
9月 降伏文書に正式に署名し、大東亜戦争の終結

太平洋戦争を「大東亜戦争」と呼んではいけない?

太平洋戦争・大東亜戦争は戦時中と戦後で呼び名が変わっています。
「太平洋戦争」というのは、戦後に日本を占領統治したGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって強制的に名前を変更され、定着したものです。

この戦争の呼び名においてはたびたび議論がされており、当時日本が使用していた「大東亜戦争」を使用すべきとの意見があります。

一方で、「大東亜共栄圏」というアジアの欧米植民地からの解放という大義名分のもとの侵略行為を肯定するものとしてタブー視されており、GHQの強制力がなくなった今でも「太平洋戦争」と呼ばれるのが一般的です。

大東亜戦争軍票一覧

日中戦争のあと、日本軍は石油や天然ゴム、綿などの資源を求めて領地を拡大しようと南下を進めました。

そのため、太平洋戦争中は大東亜と呼ばれた東南アジア方面5つの地域で50種類以上の軍票が発行されたのです。

これらの軍票は円ではなく、それぞれの地域の通貨で発行され、絵柄も地域に合わせたものが取り入れられました。

オランダ領東インド方面軍票

太平洋戦争中、蘭領インドネシアで日本軍が使用した10グルデン軍票(1942年)

1942年1月に発行された「は号券」は1セント、5セント、10セント、1/2グルデン、1グルデン、5グルデン、10グルデン、100ルピア、1000ルピアの9種類が発行されています。

さらに1944年以降は現地でも1/2ルピア、1ルピア、5ルピア、10ルピア、100ルピアの5種類が発行されました。

当初はオランダ領ということで通貨はセント・グルデンが使用されていましたが、1942年の日本軍侵攻によって日本の軍政下に置かれたことで「インドネシア」という呼称を解禁し、インドネシア人優遇政策がとられました。

日本が現地金融機関として「南方開発金庫」を設立し、南方開発金庫発行の軍票に移行した際に単位がルピアに変更されています。

マレー方面軍票

太平洋戦争中、マレー半島で日本軍が使用した100ドル軍票(1942年)

1942年1月に発行された「に号券」は1セント、5セント、10セント、50セント、1ドル、5ドル、10ドル、100ドル、1000ドルと現地製造の100ドルの計10種類が存在しています。
当時マレーシアはイギリス領であったため、通貨は海峡ドルが用いられました。

フィリピン方面軍票

太平洋戦争中、フィリピンで日本軍が使用した10ペソ軍票(1942年)

1942年に発行された「ほ号券」1センタボ、5センタボ、10センタボ、50センタボ、1ペソ、5ペソ、10ペソの7種類の他、「改造ほ号」として1ペソ、5ペソ、10ペソ、100ペソ、500ペソ、1000ペソの6種類が発行されています。

フィリピンでは軍票の濫発が激しく、猛烈なインフレ化に陥りました。現存する軍票の中には日本に補償を求めるスタンプが押されているものも存在しています。

ビルマ方面軍票

太平洋戦争中、英領ビルマで日本軍が使用した1/2ルピー軍票(1942年)

1942年に発行された「へ号券」は1セント、5セント、10セント、1/4ルピー、1/2ルピー、1ルピー、5ルピー、10ルピー、100ルピーの9種類が発行されました。
イギリス領だったミャンマーで発行され、通貨単位はルピーが用いられています。

オセアニア方面軍票

太平洋戦争中、南太平洋地域で日本軍が使用した1シリング軍票(1942年)

1942年に発行された「と号券」は1/2シリング、1シリング、10シリング、1ポンドの4種類が発行されました。

イギリス領の太平洋地域で発行されたため、通貨単位はポンドです。
しかし、ガダルカナル島など多くの占領地が部族社会で貨幣経済を必要としなかったためにほとんど使用されていなかったといわれています。

大東亜戦争軍票は価値がない?

戦争末期は軍費がひっ迫したため、日本軍は各占領地に「南方開発金庫」を設立し、1943年には無制限に「南方開発銀行券」を発行できる法を制定します。

発行した銀行券を日本軍に貸し付けて戦費をまかなっていましたが、際限なく発行され続けたため膨大なインフレーションの原因となってしまいました。

種類も豊富で発行枚数も膨大なため、買取価格も幅広く、数百円~数万円とピンキリです。
中でも買取価格が期待できるのは、「ルピア」と「グルデン」のは号券で2000円~3000円が相場の目安となっています。

出典
軍用手票 < 文鉄・お札とコインの資料館 (buntetsu.net)
【軍用手票買取】軍票の価値・買取相場とおすすめ買取業者 (kosenkaitori.info)
軍票(大東亜戦争) (fc2.com)
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<すぐわかる>太平洋戦争入門-なぜ起きた?戦争の流れは? – 太平洋戦争とは何だったのか (historyjapan.org)
大東亜戦争軍票(Wikipedia)