武内宿禰ってなにもの?紙幣の肖像で最も長く使われた人物について解説
実際、聖徳太子は最も多く肖像に使用されていた偉人であるため、肖像といえば聖徳太子と思う方が多いのも頷けます。では、最も長い期間肖像として描かれてきた人物は誰でしょうか?
この記事では、最も長く肖像に使われていた一円札の髭男についてご紹介します。
目次
一円札に描かれた人物は誰?
一円札は明治時代から昭和にかけて発行されていた紙幣で、これまでに3人の肖像が使用されました。
人物名 | 画像 |
---|---|
大黒天 | |
武内宿禰 (たけしうちのすくね) |
|
二宮尊徳 (にのみやそんとく) |
武内宿禰はなにもの?
武内宿禰(たけしうちのすくね/たけうちのすくね/たけのうちのすくね)とは「古事記」や「日本書紀」に登場する伝説の人物です。
蘇我氏(そが)、平群氏(ヘぐり)、紀氏(きの)、葛城氏(かつらぎ)などの中央豪族の祖と言われています。
武内宿禰は330歳まで生きたとされるほどの長寿で、景行(けいこう)・成務(せいむ)・仲哀(ちゅうあい)・応神(おうじん)・仁徳(じんとく)の5代の天皇と神功皇后(じんぐう)に仕えたとされています。
国家に忠誠を尽くして、多くの人々から崇められたようです。
特に神功皇后が朝鮮を制圧し古代日本の属国にした「新羅征伐」では総参謀長を務め、軍神としても崇められています。
最も多く紙幣に登場した人物は?
最も長い期間肖像に使用されたのは69年間使用された武内宿禰ですが、最も多くの紙幣に登場したのは戦前2回、戦後5回採用された聖徳太子です。
1930年に発行開始された「乙百円券」に登場して以来、銀行券の顔として7種の紙幣に登場しました。
結果として、いつの間にか国民の間で「聖徳太子は日本銀行券の代名詞」のイメージが浸透したのです。
武内宿禰が紙幣の肖像に選ばれた理由は?
武内宿禰が初めて紙幣に登場したのは明治時代のことです。
当時の日本は近代化を進めているさなかで、古代日本の偉人を紙幣の肖像に取り入れることで、国民にアピールしようとしていました。
そうした中で白羽の矢が立ったのが、国家への強い忠誠心と卓越した政治的手腕で賢臣として知られていた武内宿禰でした。
武内宿禰は政治的な影響だけでなく、日本文化への貢献も大きいため紙幣の顔にふさわしいとされたのです。
軍神・長寿の神とも言われる武内宿禰は神聖な存在として、今でも多くの人に信仰されています。
全国に彼を祀る神社やゆかりの地も点在しているので、是非訪れてみてはいかがでしょうか。
60年も使われていた武内宿禰が変更された理由
では、なぜ60年も紙幣の顔として国民に親しまれていた武内宿禰が紙幣の肖像から退いたのでしょうか。
これは戦後、敗戦国となった日本がGHQの管理下に置かれたことに起因します。
終戦直後の1925年11月、1926年の新紙幣発行に向けて大蔵省金融局が準備を進めていたところにGHQの指導が入ったのです。
指導の内容は
- 新しい通貨の製造・発行にはGHQの事前承認が必要である
- 高額券はインフレ助長の可能性があるため好ましくない
といったものでした。
これを受けて政府は1000円券、500円券の発行を取りやめて、1925年12月に以下4種の紙幣の承認を申請します。
- 100円券:弥勒菩薩(みろくぼさつ)像
- 10円券:伐折羅大将(ばざらたいしょう)像
- 5円券:彩紋模様(さいもんもよう)
- 1円券:武内宿禰
しかし、GHQは「伐折羅大将の形相は戦争に敗れた日本国民の憤怒を、また弥勒菩薩の表情は国民の悲痛の感情を表している。さらに、武内宿禰は軍国主義のシンボルであり、いずれも肖像としてふさわしくない」として5円券以外の変更を要請しました。
ところが、申請した段階で発行期日が差し迫っており、1から図案を考案する時間的余裕は残されていません。
そのため、100円券を聖徳太子、10円券を国会議事堂、1円券を二宮尊徳に変更してGHQに再申請し、なんとか1925年3月の発行に間に合わせたという背景があります。
※参考:お金の話あれこれ(4)ー もっと知りたい!お金の話あれこれ | 日本銀行 (boj.or.jp)
製造後の情勢等の変化により、発行されるに至らなかった紙幣
それが、第二次世界大戦末期から終戦直後にかけて緊急準備用として製造された「い五百円券」です。
しかし、製造はされたものの出来栄えが優れず「銀行券として適当でない」という理由で告示が出ないまま発行されず、日の目を浴びることはありませんでした。
現在の武内宿禰の一円札の価値は?
武内宿禰の描かれた1円券は「改造一円券」「い号券」ともに現在も1円として使用可能です。
しかし、いずれも古銭としての価値のほうが高いため、普通に使用するよりもまずは鑑定に出すのをおすすめします。
1889年に発行された「改造一円券」は記番号が漢数字で書かれたものとアラビア数字で描かれたものの2種類あり、特に漢数字で書かれたものは並品でも2000円程度の価値がつくほどです。
1943年に発行された中央武内とも呼ばれる「い号券」は1943年に発行された通し番号があるタイプと1944年に通し番号が省略されたタイプがあります。
番号が省略されたものは前期・後期とありますが、後期のものがやや価値は高くその差は数百円程度です。
戦時中の紙幣であったため粗悪な作りであり、買取価格は100円程度からとそこまで価値が高いとは言えませんが、普通に1円として使うよりは鑑定に出す方がいいでしょう。
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※参考:
330歳まで生きた? 伝説のヒーロー武内宿禰の足跡をたどる | わかやま歴史物語 (wakayama-rekishi100.jp)
改造一円券 | 中山編集事務所 (homepage.obunko.com/nahen/)