寛永通宝(母銭)の種類一覧表
簡単に判別できるように、実際の画像で寛永通宝(母銭)の種類を一覧表でご紹介します。
目次
寛永通宝 背太ノ・母銭
新寛永通宝の「背太ノ」の母銭です。母銭とは、通用銭(日常で使われるお金)を大量に作る際のモデル(元型)となるものです。
銅の純度が高かったり、全体的に彫りが深い、真ん中にあけられた四角い穴の内側にヤスリがけがされている等、とにかく丁寧に作られた特徴があります。
「背太ノ」とは、背面、つまり裏面に”太く“、”ノ“という片仮名のようなものがデザインされていることからこのように呼ばれています。
重さやサイズを確認しましょう。こちらの母銭の重さは6.0g、直径は27.9mmでした。ただ、背太ノの母銭がすべてこちらの重さやサイズになるわけではありません。
ちょっと角度をつけた画像をご覧いただきます。彫りの深さや四角い穴の内側が綺麗にヤスリがけが施されていることが確認いただけるかと思います。
「寛永通宝って価値がある?画像付きでレアな種類、母銭の見分け方を教えます!」もご確認ください。
寛永通宝 四ツ宝銭 勁永・母銭
新寛永通宝 四ツ宝銭 勁永の母銭です。四ツ宝銭とは、質が悪いと不評だった宝永四ツ宝丁銀から由来する俗称で、質が悪いということで四ツ宝銭と呼ばれました。
「永」の字は幅広で力強い印象があります。「寶」の字は全体的に前に傾いており、特に”貝“の部分が大きく描かれています。
続いて、重さとサイズを確認します。重さは3.0g、直径は23.4mmでした。
角度を変えた画像もご紹介。四角い穴の内側がヤスリがけされており、全体的に丁寧な仕上がりになっています。
寛永通宝 小字背千 進貝宝 母銭
新寛永通宝の「仙台・石ノ巻銭」で、小字背千 進貝宝の母銭です。
裏面の「千」の字は、仙台(元は”千代”)のことを示しています。
全体的に文字が小さく(小字)、寶の字の”貝”の部分が左寄りで前傾しています(進貝宝)。
こちらの仙台・石ノ巻銭の母銭の重さは2.6g、直径は22.0mm。
角度を付けた画像も1枚。
寛永通宝 旧享保期 十万坪銭 広目寛 母銭
続いては旧・享保十万坪銭 広目寛の母銭です。従来は享保期(1716~1736年)とされていましたが、近年、”宝永の大噴火による火山灰”の下から発掘されたことにより元禄期(1688~1704年)にさかのぼることが判明しました。
深川十万坪という場所で作られたことから「十万坪銭」と呼ばれますが、これは現在の江東区千田および千石周辺にあたりです。
「広目寛」とはその名の通り、「寛」の字の”目”の部分が広く、”寶”の字が右肩上がりなどの特徴があります。
この十万坪銭の母銭の重さは3.3g、直径は24.1mmでした。
ちょっと傾けた画像も1つ。
寛永通宝 古寛永 建仁寺銭 大字 母銭
つぎは、古寛永 建仁寺銭 大字の母銭です。
1626年から1668年までに発行された寛永通宝を「古寛永」、1669年以降は「新寛永」と区別されます。
建仁寺銭については、京都の建仁寺で作られた説や長崎で作られたなど諸説あり、実際の発行地については研究中です。
全体的に文字が大きい(大字)です。
この古寛永 建仁寺銭の母銭の重さとサイズを計測します。
重さは3.8g、直径は25.9gでした。
角度を付けた画像も載せます。
寛永通宝 繊字小文 無背 母銭
続いての寛永通宝の母銭は、文字が細く繊細に書かれていて(繊字)、文字が小さめ(小文)にデザインされています。
こちらの寛永通宝の母銭の直径は25.1mm、重さは3.4gです。
傾けた画像もご紹介します。中央の穴の側面が綺麗にヤスリがけされていますね。
寛永通宝 難波銭 高頭通 母銭
新寛永通宝 難波銭 高頭通の母銭です。大坂の難波で作られたことから、難波銭と呼ばれています。
享保期難波銭の識別点の一つとなっていますが、「永」の字のフ画(横画)の先端に特徴的な跳ねが確認できます。
また、「通」の字の”マ”の字が”コ”の字になっていて、”コ”の字の上下幅が広くなっています(高頭通)。
この難波銭の母銭の重さは4.5g、直径は25.1mmでした。
角度付けた画像はこんな感じ。
寛永通宝 旧享保期 十万坪銭 小目寛 母銭
続いては新寛永通宝 旧・享保十万坪銭 小目寛の母銭です。
従来、十万坪銭は享保期(1716~1736年)に作られたとされていましたが、最近の発掘により元禄期(1688~1704年)にさかのぼることが判明しました。十万坪銭は、現在の東京都江東区千田および千石周辺にあたる深川十万坪で作られました。
「寛」の字の”目”の部分がやや小ぶりの特徴があります。
こちらの旧・享保十万坪銭の母銭の重さは3.5g、直径は24.6mmでした。
角度を付けた画像はこちらです。
寛永通宝 小字 背千無背 母銭
寛永通宝の小字 背千無背の母銭です。
小字というのはその名の通り、数㎜程のごくわずかの差で別の種類と比較して文字が小さいことを意味します。
背千無背とは、もともと裏面にあった”千”の字を取り除いた痕跡が見られるものをいいます。
裏面の上部をよく見ると、うっすら”千”の字があった痕が見えてきませんか?
量目も一例として紹介していきます。こちらの画像のものだと3.2g、直径は23.4mmでした。
側面も角度付けた画像でご紹介。
寛永通宝 仰宝 母銭
寛永通宝 仰宝の母銭です。仰宝とは、”寶”の字が天を仰ぐようにややふんぞり返ったような書体となっています。
こちらの母銭の、サイズと重さを紹介します。直径は28.2mm、重量は7.0gでした。
角度をつけた画像も1枚載せておきます。
寛永通宝 藤沢・吉田島銭 縮字 母銭
寛永通宝 藤沢・吉田島銭 縮字の母銭です。
藤沢・吉田島銭は、江戸時代中期に相模国(現在の神奈川県)の足柄上郡で鋳造された新寛永通宝の一種です。
中央の穴が大きく(広穿という)、このため文字が縮んだようになっています(縮字)。
サイズと重さについてです。直径23.3mm、重さは2.4gでした。
傾けた画像も1枚紹介していきます。
寛永通宝 文銭 細字 背文 母銭
つづいては、寛永通宝 文銭で、細字 背文の母銭となります。
「文銭」とは、寛永通宝の裏面に”文”という文字が刻まれたものをいいます。これは一説では”寛文期”(1661~1673年までの期間)に作られた寛永通宝ということを意味すると考えられていますが、背面に文の字があるからといって必ずしも寛文期に作られたものとは断定できないというのが実際のところ。
「細字」とは、文字全体の細い太いがなく、均一的な細さが特徴です。また、「寶」の字の”尓”部分の縦線と横線が離れているのも特徴の1つです。
直径サイズは25.2mm、重さは3.6gでした。
少し角度つけたところからの写真も1つ。